戦後、家康は離反した家臣や親族の“復帰”に対し、実に寛大な処置を取りましたが、それも家臣団の約半数が一向宗側に付いてしまったがゆえでした。厳罰で対処すると家臣の半分を失ってしまうわけですから、許さざるを得ないという現実があったのです。

 この時、本多正信も赦免されたのですが、なぜか家康のもとから再度離反してしまっています。その後の約20年間、彼は松永久秀に仕官したり、放浪したりしていたとされますが、一向衆の信徒たちのネットワークを頼り、加賀国(現在の石川県)に移住、後には加賀一向一揆(長享2年・1488年ごろ~天正8年・1580年)を指導し、信長軍と激突したのでは……という仮説もあり、ドラマではこの説を取るのではないでしょうか。

 第7回では、正信に家康が金策を相談するシーンで、信長の態度に不満を漏らす家康に対し正信が「それは殿も悪い。がつんと言ってやればよろしい」と言うと、家康はムキになって「お前はあの男と面と向かったことがないからそんなことが言えるんじゃ! ものすっごう怖いんじゃぞ!」などと反論していました。正信はそんな家康を「かわいいのう」と笑っていましたが、これはのちに正信自身が、加賀一向一揆において信長の怖さを知って震えあがるという展開への伏線のような気がします。