その結果、デビューが決まり、番組MCのハライチ・澤部佑が「世界デビュー、いいんじゃないの?」と聞くも、宮近は「僕らも、きらびやかになると思ってたんですけど……」とボソリ。
デビューが決まり、日本に帰国した後の状況に関して、「(普通ならば)デビュー旋風みたいなのがあるんですけど。僕ら、デビューして帰国してるんで、なんか“機内モード”みたいな」「(世間にデビューが)届いてない? みたいな」と自虐的に話した。
「さらにデビュー後、活動拠点が日本と海外のどちらになるか不明だったそう。宮近いわく、ドラマや舞台などの出演オファーが来ても、『(拠点が)どっちになるかわからないので受けれません』と断ることもあったとか。『そういう活動もできなくて。中途半端な感じになってしまってて。それでより、俺ら自体も「どうすればいいんだろう」って』と、葛藤があったことをぶっちゃけていました」(同)
Travis Japan・中村海人、退社の滝沢秀明氏に「1年はいてほしかった」の本音
一方、中村は「(アメリカから)帰って来て、だいたい1年とかはプロデューサーじゃないですけど、副社長とか社長が見届けるんですよ、しっかり。でも、今回僕たちの場合は、帰って来たら副社長がいなくなってたので」と発言。
「だから、グループもそうですけど、レーベルだったり、うちのマネジャー周りも最初全部バラバラだったんですよ。まとめてくれる人がいなくて」と、苦笑いを浮かべた。
「留学前に副社長だった滝沢氏は、Travis Japanが配信デビューした直後の22年10月末をもって、事務所を電撃退社。ジュニアの基盤となっていた関連会社『株式会社ジャニーズアイランド』(現・株式会社Annex)の代表取締役も同年9月中に退任していたことが判明し、後任は20th Centuryの井ノ原快彦(今年3月末に辞任)が務めていました」(前出・同)
Travis Japanはこうした事務所内人事に変更が生じる中でデビューしただけに、知られざる苦労や葛藤もあったのだろう。