令和2年6月、大阪のコロナ感染者がゼロになりました。やったぜ結ちゃん、今日も金曜でハッピーエンド。かわいい花ちゃんとの久しぶりの再会ハグも、左手は添えるだけ……。

 というわけで、NHK朝の連続テレビ小説『おむすび』第23週「離れとってもつながっとうけん」が終わりました。

「どんなときでも自分らしさを大切にする“ギャル魂”を胸に、主人公・米田結が、激動の平成・令和を思いきり楽しく、時に悩みながらもパワフルに突き進みます!」

 第115回、振り返りましょう。

どこまで他人事やねん

「悔しいなぁ」という気持ちはないんか、石田っち! と思ったんですよ。

 冒頭、結さん(橋本環奈)から「娘が学校で『コロナまみれ』と言われた」という話を聞いたであろう石田っち、それに対するリアクションが以下のセリフです。

「ひどいこと言うなぁ、医療従事者も、みんながんばってんのに!」

 なんでこの人、他人事としてしゃべってるんですかね。あなたも医療従事者でしょう。「コロナまみれ」はあなたにも向けられた言葉ですよ。その言葉を聞いて、湧き上がってきたセリフが「医療従事者も」じゃないでしょう。「俺たちだって」でしょう。

 セリフを書くという作業は、その人物の心の奥底に潜り込んで気持ちを拾い上げ、それを言語化することだと思うんですよ。石田っち、おまえにも家族がいるだろう。おまえの歌を聞かせてみろよ。

「医療従事者も、みんながんばってんのに!」なんてセリフは、医療従事者じゃない私たちだって言えるんです。当時でも、そう言えたと思うよ。おそらくノの字もそう思ったし、言いたかったんだろうね。

 それを当事者に、そのまま言わせてしまう。石田っちという人間のフィルターを通さない。石田っちの目線から見た世界を想像しようとしない。こういうことをやるから、脇役が単なる小道具になってしまうんです。脇役といっても、この人は主人公の職場における「バディ」という立場ですよ。栄養科で唯一、イエローゾーンに足を踏み入れるという修羅場を結さんと共にする人物です。そういう人物でさえ、この扱い。