◆嘘の見事さはエンタメの醍醐味である

ボクサー役を演じるにあたり横浜は、『百円の恋』(14年)、『あゝ、荒野』(17年)、『BLUE/ブルー』(21年)、『ケイコ 目を澄ませて』(22年)などの数々の名作ボクシング映画に関わった松浦慎一郎の指導を受けた。ほかに、ボクシングアドバイザーとして、名門・帝拳ジムの田中繊大トレーナーと、プロボクシング元WBAスーパーフェザー級王者の内山高志氏の指導も仰いでいる。

ただ、いくら一生懸命練習したとしても、実物の選手がボクシングと共に生きてきた時間を俳優が埋めることは難しい。そこが、長い時間をかけて蓄積した技能を描く作品の課題である。リアリティがないと観客はたちまちそっぽを向く。いや、そもそもフィクションなのだから、それっぽく見えればいいという考え方もある。

すると要点は、どこまでそれっぽく見せるかになり、そのとき必要になるのは演技や演出の技能である。悪く言えば、誤魔化しや嘘の巧さということになるし、良く言えば、演技や演出とは嘘を正々堂々、歓迎されるものにすることである。

「講釈師、見てきたような嘘をつき」という言葉があるように、嘘の見事さはエンタメの醍醐味である。現場では嘘は悪いことだが、エンタメでは嘘の巧さが求められる。その技能が拙(つたな)いと、バレバレの嘘になって、フィクションは面白くなくなる。