――ライバル心みたいなものでしょうか。
黒沢:いえ、そのときは子育て真っ只中だったので、あの時に吉田監督からお話をいただいても万全な状態で出演できていたかどうかは、正直今振り返って考えると難しかったと思います。でも夫とはいえ羨ましかったですね(笑)。
それ以来、時間は掛かることは覚悟できていましたが、いつか吉田監督にお声がかかるような“住人”になりたいと。そのためには、今(当時)は妻・母の顔を持ちながら俳優という仕事を両立しているけれども、ある程度子育てが落ち着いて俳優一本という形で臨めるタイミングで、勝負したい取り組みたいという思いは常々思っていました。いつ吉田監督に呼ばれても応えることができるよう準備だけは心掛けていました。
◆長塚京三が「私にとって希望であり光」

黒沢:儀助との関係性でわたしの登場の仕方は、亡き妻・信子という形でしたので、他のお二人の瀧内公美さんや河合優実さんとは、存在の仕方が違いました。ところどころに儀助が妻・信子を偲ぶようにコートやいろいろなものを自分の身の回りに置いて、言葉には出さないけれどもなんとなく常に感じて日常を過ごしている。儀助のカウントダウンが始まっているような世界観の中に信子も一緒にいる、そういう役でした。
――共演者の方と作品や役柄についてお話する機会はありましたか?
黒沢:瀧内さん、河合さんのさまざまな言葉がわたしにはとても新鮮で、私の経験値にはない考え方を導いてくださいました。わたし自身は50代となり、自分では再スタートと思っているのですが、おふたりからは新しいこと学ばせていただいている現場でした。
長塚さんは、現場での佇まいに役者としての気付きを与えてくださいました。それはやはり長塚さんそのものがわたしにとって希望であり、光であったからだと思うんです。あの御年齢で主演をお引き受けになるということは、かなりの覚悟とエネルギーがなければ無理なわけで、しかも結果的に最優秀男優賞を獲られたということが、わたしには励みにつながりましたね。