昨日は、「いろいろ心配事はあるけど、物語でブン殴ってくれ」と書きましたが、今日は美貌にブン殴られましたねえ。いやー松嶋菜々子。いくつだ。51か、すげえー顔面、すげえーたたずまい。
その松嶋菜々子演じる母・登美子が嵩くん(木村優来)と千尋ちゃんを置いて去っていく畦道のシーンをはじめとして、俳優も撮影も画面がたいへんリッチなので、まずは見ていて楽しいです。受信料ペイしてる感じ。
お話としてはどうなんだろう。まだちょっとわからないですね、とりあえず今日泣いたかといえば、全然泣いてない。
第3回、振り返りましょう。
ロボトミーとかサイコとかマッドとか
冒頭、過去に嵩くん一家4人が銀座でアンパンを食べている回想があって、その様子を描いた自作の絵を眺めている嵩くん。
この回想、前回もあったんだけど、千尋の子役が同じなんですよね。同じ子役で、登美子さんを「母ちゃま」と呼んでいて、母子や兄弟のコミュニケーションが成立してる。
一方で、今(昭和2年)の千尋は登美子さんのことも嵩くんのことも一切覚えていないという。
今のところ「幼かったから」ということで処理されていますが、「記憶喪失かな?」という予断が入ってしまうんだよな。さらに引き取られた家が医者なもんだから「千尋、ロボトミー手術されたかな?」「竹野内豊はマッドサイエンティストかな?」とか思っちゃって、どうにも物語に入り込めないということが起こっている。
こういう邪まな勘違いが生まれてしまうのには、登美子の持ってる情報量が多すぎて物語に理解が追い付かないというのもあるんだと思うんですよね。「かもしれない」という要素が多すぎる。
この人はたぶん都会の女だから、主人の親戚の家に次男を養子に出すことに大きな躊躇いがあったのかもしれないし、意外にすんなりだったかもしれない。千尋との親子関係を遮断したような振る舞いをしているのも、そうして毅然と接することで切ない思いを断ち切ろうとしているのかもしれないし、そういう時代だから当たり前にそうしているのかもしれない。前回、家を出る匂いをぷんぷんさせていたけれど、それはやむにやまれずなのかもしれないし、あのおっさんの言う通り「やっかい払い」かもしれない。