田村:僕がテレビで川島の話をするようになったからだと思います。以前は、川島の名前を出すのが嫌だったし、腹が立っていた時期がありました。いろいろな人から、「今日もテレビで川島見たよ」と言われたり、SNSで「川島はテレビ出てるのに、田村は何してるんやろ」みたいなことばかりいわれるのが嫌になっていたんです。その頃は「田村は、川島の名前を出すのが嫌なのかな」とスタッフさん達に気を遣わせてしまっていたと思います。

でも、1~2年前に『アメトーーク!』(テレビ朝日)の収録終わりに、笑い飯の哲夫さんと、千鳥のノブ、とろサーモンの村田くんと僕の4人で食事に行ったんです。そこで3人が、「絶対に川島の話をしたほうがいい」「もっともっと自分と比較して喋ったほうがいいよ」と言ってくれて、やってみようと思えるようになりました。

自分から川島の名前を出すようになったことで、いじってもらいやすくなったり、僕自身の表情や空気感が変わっていったことで、仕事の量が明らかに増えていきました。

◆「ラジオの1本くらいコンビで…」川島に言えなかった理由

田村裕さん
――仕事が減っていることを、川島さんには相談しなかったのでしょうか。

田村:相談したい気持ちはありましたけど、コンビってなかなか複雑なところがあってできなかったです。僕らの関係性でいうと、例えば随分前に中国の山奥に弾丸ロケに行ったとき、信じられないんですけど、スタッフさんを含めて誰も元(中国の通貨)に換金してなかったので、めちゃくちゃ乾燥しているのに水すら買えなくて、帰国までの一晩、喉カラカラで過ごしたことがありました。なんとか翌朝になって空港に集合すると、川島がハイチュウを食べてたんです。食べたら唾液が出るから羨ましくて仕方なかったんですけど、コンビのプライドがあって「1個くれ」って言えませんでした。ハイチュウももらえないのに、仕事の相談なんてできるわけがなかったですね。