――川島さんに対して、口には出せない中でどんな思いがあったのでしょうか。
田村:結果的に今は感謝しているんですけど、仕事が無い時期は、「ラジオの1本でもコンビでやらせてくれたらいいのに」と思ったこともあります。
僕は『ホームレス中学生』がヒットしたとき、仕事は全部川島と一緒に行ってたんです。僕の作品だけど麒麟というコンビから離れたものにしたくなかったし、川島も一緒に恩恵を受けてほしかったからです。でも、川島はそのときのことを「嫌やった」と言うんです。僕だけピンマイクが着けられて、川島にはなかったことをネタにしていました。
気持ちが荒んでいた頃は、「それならそう言ってくれたらよかったし、結局一緒に出たことでお金はもらえてたやん」と思っていました。
――そこから、川島さんに対する気持ちが変わったのはなぜだったのでしょうか。
田村:今考えると、『ホームレス中学生』のときに僕が川島を連れて行っていたのは、自分で笑いを作れなくて、助けてほしかったからだと気づきました。そして、「川島が仕事を振ってくれない」と思ってたけど、それは違う。もう本当に自分の足で立たないといけない。麒麟・田村として、自分で制作陣の意図を汲んで形にしたり、VTRを作ったり、ロケやスタジオを回すような役割をしないといけないんだと、やっとわかってきました。
川島が僕を甘やかして、生活できるくらいの仕事を与えることもできたと思います。でもそれをしてくれなかったおかげで、自分が甘えていたことにやっと気付いて頑張ろうと思えるようになりました。
僕はガンガン笑いをとるようなテクニックはないですが、スタジオで役割を見つけて立ち回ったり、『探偵ナイトスクープ』(朝日放送テレビ)では依頼者さんを立てられるようになり、僕なりの寄り添い方を評価してもらえるようになりました。それは、川島くんのおかげやなと思っています。