インターネット上の誹謗中傷が大きな社会問題となっています。

 その対策として「侮辱罪」を厳罰化する改正刑法が7月7日に施行されました。2020年に女子プロレスラーの木村花さん(当時22歳)がSNSでの中傷が原因で命を絶ったことを巡って厳罰化の声が高まり、今回の改正につながったともいえます。

ネットで誹謗中傷する人たちは、声にならない”痛み”を抱えている
(画像=『女子SPA!』より引用)

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 なぜネットの誹謗中傷はなくならないのか。長野県軽井沢町で「人々が安心していられる居場所」づくりを進め、『いのちの居場所』などの著書がある、稲葉俊郎・軽井沢病院院長が解説します(以下、文章は稲葉氏による)。

ネットで誹謗中傷する人たちは、声にならない”痛み”を抱えている
(画像=『女子SPA!』より引用)

心身が言葉にならない悲鳴を上げている

 インターネットを見ているときに、ひどい言葉で誰かを批難している言葉に出会うことがあります。そのとき、唐突に後頭部をポカンと小突かれたような奇妙な気持ちになり、心身が言葉にならない悲鳴を上げていることに気づきます。そこで生まれたやり場のない怒りや悲しみが、さらにわたしの心をかき乱し続けます。

 あらゆることに当てはまりますが、ものごとの「当事者」になると、相手をそう簡単に批判することはできなくなります。なぜなら、葛藤や矛盾を乗り越えながら頑張っている現場の苦労が身に染みて分かるからです。相手の行動や言葉の裏側も含めて共感できるようになるためには、当事者の視点を自分の中に取り込むことが必要です。

 わたしは医療従事者の当事者の一人として、どんな医療現場もたいへんであると理解しているつもりです。ですから、表面だけを切り取って安易に医療現場を批判することはできません。「いろいろと表面に出てこない背景もあるだろう」と、結果だけではなくてそこに至る複雑なプロセスを想像し、当事者の視点で共感するからです。

「当事者」になると、相手をそう簡単には批判できない

 たとえば、自分が本を書くようになったからこそ、本を書く側、本をつくる側のたいへんさが当事者として身に染みて分かるようになりました。文章だけあれば本ができるのではなく、構成や編集や装丁などを含めて、編集者やデザイナーなどいろいろな人の思いが一つの本には込められています。そうした立場のたいへんさが分かるようになると、そう簡単に誰かの本や文章を批判することはできなくなります。

 家事を想像してみてください。自分一人で料理をして、掃除をして、子どもと遊んで……と、実際に自分が朝から晩まで家事に従事すると、日常生活で家庭を守っている方のたいへんさが身に染みます。表層だけではなく深層も含めて共感する力は、当事者になってみないと分からないところがあります。病気になってはじめて弱い立場の気持ちが分かるように。