一方で、南港ストリートピアノは言葉を間違えただけで、言っている事自体は正論なのではないかと擁護する人たちも。つまり、南港側は、練習のための練習であるようなひとつのフレーズを反復する演奏に苦言を呈しているのであって、一曲を通して弾こうとする姿勢の中でつっかえたりする分には、それはストリートピアノのコンセプトに沿ったものだから問題はないと言っているのだ、と。

 双方の言い分にはそれぞれうなずける点があります。しかし、そこから浮かび上がるのは、そもそもストリートピアノとはなんぞや? この日本でどう扱ったらいいのか、いまだにあいまいなままなのではないか、ということなのではないでしょうか。

◆加古川でもストリートピアノ炎上

 もともとストリートピアノは、2008年にイギリスで始まった“Play me, I’m yours”という活動から始まりました。音楽を通じて、見知らぬ他者同士が知り合い、ゆるやかなコミュニティを醸成していく。そのツールとして、誰もが親しみのあるピアノという楽器が置かれるようになったわけです。

 日本でもヤマハが「LovePiano」プロジェクトを展開し、またピアノ系YouTuberと呼ばれる人たちの存在もあり、ストリートピアノは一躍市民権を獲得しました。

(画像:YAMAHA ストリートピアノ「LovePiano」サイトより)
(画像:YAMAHA ストリートピアノ「LovePiano」サイトより)
 ところが、一昨年の加古川、そして今回の南港ストリートピアノと、同じような理由から同じような炎上をしてしまいました。もちろん、全国各地でルールを守って常識的に楽しんでいる人が多数なのだと思います。しかしながら、大きな問題が起きるときには、何かしら共通点があるように感じます。

 というわけで、日本におけるストリートピアノはいったい何がまずいのか、考えてみたいと思います。

◆ひとりよがりの演奏になる日本的な理由

ストリートピアノ
写真はイメージです(以下同じ)
 筆者は、一昨年の加古川の一件について『日刊SPA』で記事を書き、リモート出演した『ABEMA Prime』で所見を述べました。1人10分の演奏時間を守らなかったり、必要以上に大きな音で演奏したりする迷惑行為が相次いだ背景には、日本人が概して他者に無関心だからなのではないかと考えたのです。