②繰糸所(国宝)
繭から生糸を取る作業が行われていた、長さ約140mもある巨大な工場。
1872(明治5)年に建てられ、現在は国宝に指定されています。創設当時はフランスから導入した金属製の繰糸器300釜を設置。世界最大規模を誇る器械製糸工場でした。ここでは300人の工女が一度に作業できたそうです。
入口はあまり広くありませんが、中へ入ると繰糸機がずらりと並ぶ奥行きの広さにびっくりします。
現在ここに残されているのは、昭和41年以降に設置された自動繰糸機。1987年の操業停止時の状態で保存されています。壁面の窓からは優しい光が差し込み、不思議と静かな空間。
屋根裏を見上げると、東置繭所の2階によく似た光景が。繭所と同様に小屋組みにトラス構造を用いることで、建物の中央に柱のない大空間を作り出せたそうです。これによって作業しやすいうえ、大きな機械を置くことが可能になったそう。
天井にはロープウエイのような物(自動配布装置)が連なっていますが、これで糸の原料となる煮た繭が次々に運ばれたそうです。頭上を走るレールには今にも動き出しそうな迫力があり、当時の工女がどのように作業していたのか想像できます。
③首長館(ブリュナ館)
重要文化財となっているブリュナ館。南向きで広い窓と回廊風のベランダが特徴の開放感いっぱいの建物です。
1873(明治6)年に建てられた、製糸場建設の指導者ポール・ブリュナ氏が家族と暮らしていた住居。最も陽当りの良い南の陽当りの良い場所に建てられ、床面積は320坪と、個人の住宅としては大規模です。 通常時は非公開となっているため内部の見学はできませんが、外観だけでも見ごたえがあります。
建物の四方にベランダをめぐらせた「コロニアル様式」に、窓にはよろい戸を付けた開放的な造り。ブリュナ氏が富岡を去った後は、従業員の宿舎や工女たちの学び舎として利用され、読み書きやそろばん、裁縫、行儀作法などを学んだそう。
コロニアル様式とは、統治国が支配していた植民地に、祖国の建築様式と植民地の建築様式を掛け合わせた様式のこと。日本では、主にオランダやアメリカの建築様式を取り入れた建物のことを指します。ブリュナ館のように、ベランダなどを設けた西洋的な造りと日本家屋の瓦屋根を使った建物が多いのが特徴です。
湿度の高い日本の気候に適した、風通しが良い高床造り。
ブリュナ館の内部は通常非公開ですが、今回、特別に少しだけ撮影させていただきました。廊下にはブリュナが去った後の、工女たちの学び舎だった頃の面影が残っています。
ブリュナ館前の景色も見もの
ブリュナ館の奥は周囲の山々や街の景色が見渡せる絶景ポイント。ベンチも配されているので、ここで景色を望みながらひと息入れましょう。
製糸場の南側を流れる鏑川も見下ろせます。繭を煮る工程で大量の水が必要だったので、当時の製糸場を支えた川なのだそう。
ブリュナ館前の庭は、桜の季節になると周囲の山々と花が織り成す絶景が楽しめます。