学問の神様である菅原道真をお祀りしている神社としては、福岡の「太宰府天満宮」、京都の「北野天満宮」が有名です。この2つは日本三大天神として知られますが、残りのもう一つが鎌倉にあるってご存知でしたか?それがここ「荏柄天(えがらてん)神社」です。そもそも、どうして実在の人物であった菅原道真を、神様としてお祀りすることになったんでしょう?本記事では、その謎もご紹介します。さらに荏柄天神社は日本でも、とっても珍しい「漫画」にゆかりのある神社なんですよ!それでは荏柄天神社をさっそくご紹介しましょう。
日本三大天神の学問の神様
「学問の神様」と聞いて、パッと思い浮かぶ神様はいますか?
学問の神様といえば、とても優秀な学者として活躍した菅原道真ですね。学校の受験や、資格試験なんかでお参りする王道の神様なので、この記事を読まれている多くの方が、お世話になったことがあるのではないでしょうか。
菅原道真をお祀りしている神社といえば、菅原道真の墓所でもある福岡の「太宰府天満宮」が有名ですね。さらに京都の「北野天満宮」でも菅原道真をお祀りし、やっぱり学問にご利益があるとして、毎年多くの受験生が訪れます。
菅原道真は、別名「天神様」と呼ばれています。全国に「〇〇天神」と名の付く神社は、菅原道真を祀った神社なんです。
その中でも代表的な天神様、日本三大天神は、福岡の太宰府天満宮、京都の北野天満宮、そしてもう一つが鎌倉にあるんです。
それが今回ご紹介する「荏柄天(えがらてん)神社」です。
「えがら」とは変わった名前だと思いませんか?もともと地名が由来となり、神社の名前となったそうですが「えがら」つながりで、こちらの神社では他では見られない、とっても珍しいものをお祀りしているんですよ。
のちほどご紹介するとして、まずは菅原道真について少し学んでから荏柄天神社に向かうとしましょう。
どうして菅原道真をお祀りしてるの?
荏柄天神社の場合
菅原道真は、最初っから神様だったわけではなく、歴史上多大な功績をのこした人間です。リアルに存在していた人間が、神様として祀られるようになったのは、一体どうしてなんでしょうか?
たとえば京都にある安倍清明神社では、かの有名な陰陽師「安倍清明」が祀られています。普通の人間とは思えない、不思議な力を持っていたと言われる安倍清明が祀られるのは、なんとなーくわかるのですが、菅原道真もそんな力を持っていたのでしょうか??なんだか、ただならぬ感じがしますね!
荏柄天神社には、こんなお話が伝わっています。
1104年に、それまで雲ひとつなく、青々と晴れていた空に、突然黒々とした雲がモウモウと覆いかぶさり、激しい雷がゴロゴロと落ちてきました。
人々が突然の天気の変化にあっけにとられていると、天から黒装束の肖像画が降りてきました。その肖像画を見てみると、描かれていたのは菅原道真だったのです。
「天から雷鳴とともに降りてくるとはただならぬことだ!」と、肖像画をお祀りすることになりました。お祀りするにあたって、肖像画の傍らにイチョウの木を植えて、ご神木にしたことが荏柄天神社の始まりとされています。
う~ん。とってもオドロオドロしい光景ですね。これは荏柄天神社に伝わるお話しですが、他の天神ではどういう経緯で、菅原道真を祀っているんでしょう?
太宰府天満宮の場合
福岡の太宰府天満宮は菅原道真の墓所です。
菅原道真は、もともと大宰府に住んでいたわけではありません。京で働いていたのですが、職場のライバルに言いがかりを付けられ、してもいない罪を被せられて、左遷され太宰府にやってきました。
菅原道真はとても頭がよく優秀だったので、太刀打ちできないと思ったライバルが罪を着せたんですね。
さらに菅原道真の子供も流刑にされたりと、菅原道真は恨み・怒り・無念を抱えて、太宰府で亡くなってしまったのです。
菅原道真が亡くなったあと、左遷前に勤めていた京の職場では、異常気象、火災、地震などさまざまな災いが多発しました。
罪を着せた人々も自責の念があったのでしょう。「これはきっと菅原道真のタタリに違いない!」と言う人々が増え、魂を鎮めるために「太宰府天満宮」が建てられました。
その後も100年近く、何か災いがあると「菅原道真のお怒り」ということで恐れられました。なんだか、100年近くも菅原道真のせいにされて、少し気の毒な気がします。
きっと「菅原道真の怒りってことにして、その場をとりなそう」という政治的な理由もあったんでしょう。
この「何か起こったら菅原道真のせい」→「怒りを鎮めるため神社をつくろう」という流れが、少しずつ全国に広まり、のちに各地で「天神様」信仰が根付くようになりました。
荏柄天神社に降臨したときも、雷鳴を轟かせながら登場するという、どちらかと言えばネガティブな描写でしたもんね。
ところで、雷の神様のことも天神様と言ったりします。菅原道真が亡くなってから、宮廷に大きな雷が落ちて、多くの死傷者がでたことから、菅原道真=雷の神様=天神様という関係がうまれました。
そしてまた時代は流れ、とても頭のよかった菅原道真を学問の神様として親しむようになったのです。江戸時代の寺子屋では、必ず天神様の像が祀られていたそうですよ。
それではさっそく荏柄天神社にレッツゴー!