「We Are The World」はこれに触発されて製作された。
めざしたのは「世界賛歌」 音楽賞の夜にほとんど初見で収録
「バナナ・ボート」などのヒット曲で知られる歌手、ハリー・べラフォンテは社会活動家としても知られ、米国のミュージシャンも飢餓問題に取り組むべきだと考え、コモドアーズの創設メンバーであるライオネル・リッチーに働きかけた。共感したライオネル・リッチーがマイケル・ジャクソンのプロデューサーとしても知られるクインシー・ジョーンズに相談し、話が一気に具体化した。
当初、曲作りにはスティービー・ワンダーが参画する計画だったが、自身のアルバム制作などで多忙だったことから、マイケル・ジャクソンが加わることになった。詞、曲はライオネル・リッチーとマイケル・ジャクソンの共作である。
ライオネル・リッチーによると2人は国歌のような「壮大な」音楽を作ろうとした。米国を始め、英国やドイツなどいくつかの国歌を聞いて頭の中を整理したという。めざしたのは「世界賛歌」だった。
収録は1985年1月28日、ロサンゼルスで行われた。この日、ロサンゼルスでは米国の3大音楽賞の1つである「アメリカン・ミュージック・アワード」の授賞式が開かれていた。多数のミュージシャンを1ヵ所に集めるならこの日しかなかった。
収録が行われたのはハリウッドのA&Mレコーディングスタジオ。入り口のドアには「Check your egos at the door(あなたのエゴは入り口のドアのところに預けておけ)」という看板が掲げられていた。命を守るために待ったなしの状況だった。プロデューサーとしてこの曲にかかわったクインシー・ジョーンズがこの1晩にかける気持ちをミュージシャンたちに伝えた。
授賞式を終えたミュージシャンたちは、続々とリムジンでスタジオ入りしたが、ブルース・スプリングスティーンは向かいにあったスーパーの駐車場に車を止めて、歩いてスタジオ入りしたという。