光秀は3日間、家康の接待役を務め上げると、家康のための宴が続いている安土城を後にして中国地方に侵攻していきました。ドラマでは接待の失敗により安土城から光秀が追い出されるようなので、3日目に接待役を途中解任されたということになるのでしょうか。しかし信頼性の高い史料とされる『信長公記』には当初から明智の接待役は3日限定だったという記述があり、途中で解任されたという可能性も薄そうです。

 では、この腐った鯉云々という部分はドラマオリジナルなのかというと、一応の元ネタはあります。江戸時代初期に川角三郎右衛門によって書かれた歴史小説『川角太閤記』です。つまり、「光秀が安土城での接待で失敗をした」というエピソード自体、史実性が低いのですね。

 ちなみに『川角太閤記』では、魚が腐っていると気づいたのは、家康ではなく、光秀の仕事の最終チェックを行うためにやってきた信長でした。魚の腐臭に気づいた信長は「お前は徳川殿に腐った魚を食べさせるのか!」と激怒し、光秀を接待役から外したとあります(ドラマでは家康は信長の家臣になっていましたが、史実では信長にとって家康は20年来の清洲同盟の盟友であり、「徳川殿」という表現もそれを踏まえたものでしょう)。

 解任された光秀は逆ギレして、食材などのすべてを安土城の堀に投げ棄てたともありますが、実際にそういう行為をすれば、本能寺の変を起こす前に、光秀は信長から討ち取られてしまっていたと思われます。