『麒麟がくる』でもかなりの暴力シーンがあったように記憶していますが、歴史ドラマに頻出のこの「信長によるモラハラ・パワハラ」は、どの程度まで史実と言えるのかを今回は少し検証してみたいと思います。

 信長は、富士遊覧の際の家康のもてなしに返礼するため、家康と穴山梅雪らを安土城に招待することにしました。天正10年(1582年)の梅雨の頃の話です。

 同年5月15日、家康たちは安土城に到着すると、すぐに「金子3000枚と鎧300」を信長に献上し、領地が加増されたことのお礼を伝えています。また、穴山梅雪も信長に金2000枚を献上しています。金1枚あたり、現在の貨幣価値で250万円とする説もあり、それに従えば、家康は75億円、梅雪は50億円もの大金を信長に前納して、ご機嫌を取ったうえで、安土城での接待にあずかったということになりますね。なかなか老獪な人心掌握術ですし、同時にかなりの財力をすでに家康たちが有していたことがわかります。

 信長も彼らを出迎える準備をぬかりなく進めており、寵臣・光秀を抜擢し、大金を費やして珍しい食材を京・堺で調達させたようです。その内容は「天正十年安土御献立」として記録されているほどなので(『続群書類従』内、二十三下)、本当に腐った鯉などが出た失敗があったならば、この接待の記録自体が残されずに「なかったこと」にされているでしょう。つまり、史実において、安土城での家康の食事になにか特記すべき問題が起きていた可能性は低いと思われます。