――日本でも人気を集めた「韓流映画」のほとんどは、同国の社会問題や歴史問題を取り扱ったものが多い気がします。
土佐 そのこととも関係ありますが、韓国映画には重いテーマを扱った小説を映画化した例がかなり多いといえるでしょう。韓江の小説も、『菜食主義者』(2009年)と『傷跡』(2011年)が映画化されています。また、小説家イ・チャンドンは、IMF危機の起きた1997年に映画監督に転身し、2作目の作品が『ペパーミント・キャンディー』(2000年)でした。民主化運動に積極的に関わっていた彼はその後、文化観光部長官にも就任しています。
小説と映画をつなぐそうした表現の世界で、とりわけ民主化以降の韓国において、光州事件はやはり特別な位置づけにあります。映画『ペパーミント・キャンディー』は、若い兵士として動員されたひとりの男が、誤って少女を撃ち殺してしまう出来事から人生を狂わせていくプロセスを、時間を逆行する手法で描いています。映画『光州5・18』や小説『少年が来る』(クオン)は、被害者の側から光州事件を描いています。どちらも登場人物の人生が破滅するわけで、被害者と加害者という単純な図式で割り切れない悲劇の複雑さが描かれています。
――在日朝鮮人の作家・金石範氏が1976~97年にかけて発表した『火山島』(全7巻/文藝春秋)は4・3事件が題材となっています。この事件も韓国現代史最大のタブーとされていますが、ここで気になるのが同国における済州島と光州事件の起きた全羅道への地域差別です。今でも根強く残っていると言われていますが、これはどういったものなのでしょうか?
土佐 軍事政権を率いた3人の大統領、朴正煕、全斗煥、盧泰愚はすべて慶尚道の出身であったの対して、有力な野党政治家の金大中が全羅道出身であったため、地域対立と政治的対立がペアリングされてしまいました。私は80年代後半に全羅南道の珍島でフィールドワークをしていましたが、その地の人々は誇張なしにほぼ100%が金大中の熱烈な支持者でした。知識人の中にも「この地域対立は三国時代の百済と新羅の対立にまで遡ることのできる、非常に根深いものだ」と主張する人もいました。光州市民が標的にされた要因にもそのような側面があったことは、完全には否定できないでしょう。しかし、その後、韓国が民主化の歩みを進め、金大中が大統領に就任するに至り、そのような地域対立は解消に向かいました。慶尚道に比べ、明らかに立ち遅れていた経済投資も、それほどの格差はなくなりました。それよりは、首都圏と地方との格差のほうがずっと深刻です。