――K-POPから入った若い世代は知る由もありませんが、1998年に金大中大統領が受け入れを認めるまで、韓国内で日本の大衆文化は禁止・規制されていました。そこから、どのようにして同国は今のカルチャーシーンの第一線で活躍するクリエイターたちを生み出せたのでしょうか?
土佐 同国の文化産業が躍進するもうひとつのきっかけが、1997年のIMF危機です。タイから始まったアジアの通貨危機は韓国に及び、国内の金融制度が破綻し、多くの企業が倒産するか大規模なリストラを敢行するかを迫られました。結果、多くの若い失業者があふれましたが、一方で新しい才能と資本が文化セクターに流れ込むきっかけともなりました。よく言われるように、最大の危機は最大のチャンスだったわけです。当事者にとっては、そんな楽観的なものではなかったはずで、これをきっかけに韓国企業はますます厳しい生き残り戦略を身につけ、過酷な競争社会を実現することになりました。ただ、崖っぷちの境地を突きつけられた才能が、この時期に大胆な創造の試みを繰り返すことがなければ、K-POPや韓国映画の華々しい世界進出は起こらなかったと思います。
済州島と全羅道に対する地域差別とは?
――そこから、どのようにして負の歴史が小説化や映画化につながるのでしょうか?
土佐 民主化とIMF危機という2つの条件を重ね合わせてみると、韓国現代史でタブーであった題材を好んで映画化することと、大衆的ヒット作を作り出すことは、必ずしも矛盾しなかった理由がわかります。日本で初めて観客動員100万人を実現し、韓国映画に対する広い関心を呼び起こした『シュリ』(1999年)は、ハリウッド並みのブロックバスターという触れ込みでしたが、同時にそれは南北分断の厳しい現実を正面から描いている作品でもあります。その後、金日成暗殺を狙った秘密部隊の存在を暴いた『シルミド』(2003年)、朝鮮戦争の悲劇を反省的に描いた『ブラザーフッド』(2004年)、光州事件を描いた『光州5・18』(2007年)などの大作が作られ、いずれも大ヒットを記録しています。韓国映画の活況の一因は、国際映画祭で受賞するようなアート系や社会派の作品と、いわゆる娯楽大作が分離しておらず、うまく統合されていることにあると思います。今挙げたいずれの作品も、韓国現代史の重いタブーを扱いながら、それが同時に大衆娯楽としても楽しめる高いクオリティの作品になっています。社会派と娯楽化の結合という傾向は、アカデミー賞作品賞を受賞したポン・ジュノ監督の『パラサイト 半地下の家族』(2019年)や、全斗煥による軍事クーデターを描いた『ソウルの春』(2023年)に至るまで続いています。