韓江の小説『別れを告げない(エクス・リブリス)』(白水社)はこの事件を扱った稀有な例ですが、作者自身と思われる登場人物の小説家が、虐殺について執筆しながら悪夢を見るようになることが触れられています。小説全体は虐殺に対する憎しみよりは、「愛の物語」へと昇華していくことを象徴的に描いており、それが幅広い読者に受け入れられ高く評価されました。
――小説は昔からあるようですが、映画は2010年代まではあまりなかったようですね。
土佐 映画というメディアでこの出来事を描ききるのは、さらに難しいでしょう。2014年に『チスル』という映画が制作され、インディペンデント映画としては韓国内で異例のヒットを記録し、またサンダンス映画祭でワールドシネマ・グランプリを受賞しました。モノクロ画面を通じて淡々と描き出される映像世界は、素朴な農民の日常と残虐な兵士の行動とのコントラストによって非現実的な緊迫感をかもしだしており、それはまるで出来事の真実の意味に到達できないもどかしさを表しているかのようでした。こうした表現の模索は、これからまだまだ続けられるのだと思います。
韓国の負の歴史を理解するための作品群
――光州事件と4・3事件を理解するうえで、これらを描いた作品でオススメするものはありますか?
土佐 入りやすいのは、映画でしょうね。『光州5・18』も『タクシー運転手 約束は海を越えて』も優れた映画ですが、後者のほうが外国人には入りやすいかもしれません。4・3事件は、韓国社会としてまだ消化しきれていない部分が大きく、どの作品がどうという段階に達していないので、引き続き見守り続けたいと思っています。
――ポップカルチャーで今も言及されているこれらの事件ですが、日本人はどのようにこれらを受容すれば良いのでしょうか?
土佐 特別な構えはしないで、ただ普通に人間として受け止めればいいのではないでしょうか。ポップカルチャーにまで悲惨なテーマが好んで描かれていることに、不思議に思う人もいるかもしれませんが、どの社会でも人間の弱さや歴史の悲惨さに目を向けるのは、表現者の必然です。人間はかならず間違う存在ですし、どんなに大きな力を持つ個人であっても、かならずいつか弱り、死んでいくわけですから、負の側面こそが人間の普遍的な本質だといっても過言ではありません。ただ、人生は悲惨だからこそ、せめて小説を読んだり映画を観たりする間はそのことを忘れたいと思う場合もあるでしょうし、それはそれでいいのではないかと思います。韓国にもそういう気楽な娯楽はあふれていますし、それを楽しんで悪い理由はありません。それでも、やはり人間の弱さに向き合わないといけない瞬間というものは誰にでも訪れるため、そういうときに文学は魂の大きな指針になってくれます。どんな悲惨な出来事を扱っても、優れた文学であれば加害者と被害者の対立にとどまらない深い境地まで導いてくれるので、そこには苦しみだけでなく一種の魂の浄化が含まれているものです。