そして、「それくらい気が強くないと、“あの父”とは暮らせなかったんだろう」とも思いやる。

「できそこない」と言われたのも……

「今思うと、父は発達障害だったんだろうと思います。子ども心にも、父はちょっとおかしいんじゃないかと思っていました。父は母の言うことが理解できず、それでケンカになって暴力をふるっていたのではないかと思います」

 父の暴力がはじまると、由里子さんが近所に助けを求めに走ることもしばしばだった。それほどのDVを受けながら、ミヨ子さんは食料品店を営み、子どもたちを私立の学校に通わせた。

 ミヨ子さんから「できそこない」と言われたのも、「私もかわいい子じゃなかったんでしょう」と振り返る。

「私は子どもたちのことがすごく大切です。母にも、そんなふうに育ててほしかったなとは思います」

 やることはやったと言う若宮さん。母を見送った今の楽しみは友人たちとのおしゃべりと、趣味のフラダンスだ。全国大会にも出場するという強豪チームなのだという。

「引きこもっていた長男は、3年前にはたまたま吸入器を持っていてタイミング悪く入隊できなかった自衛隊に幹部候補生として入ることができました。若い同期の子たちともうまくやれているようで、あのときに縁がなくてよかったんだと思います。次男は海外で働いていて、婚約者もいる。子どもたちを応援するためにも、老後のためにももう少しがんばって働かないといけませんね」

 母の呪縛は、ほどけた。いや、若宮さんが自らほどいたのだ。