そしてミヨ子さんの死後、きょうだいで遺言を確認したところ、驚くべき事実がわかった。

「母からは『遺言を仏壇に置いているので、私が死んだら読んでね』と言われていました。母が亡くなって仏壇を確認すると、私と妹、弟の名前を書いた書類が出てきました。遺産といっても大したことはないのですが、それでもかわいがっていた弟に一番多く渡すだろうと思っていました。ところが、私が一番多かったんです」

突然、精神科の閉鎖病棟に入院

「実は、私は小学生のころ、拒食症になったんです」

 若宮さんは、突然母との確執を語りはじめた。

「母の作る食事がイヤで、ご飯が食べられなくなったんです。それでも、中学生になるころにはだいぶ回復して、食べられるようになっていたんですが、中1の夏休みに無理やり精神科に連れて行かれました。『娘がおかしいんです!』と医師に訴え、私はそのまま閉鎖病棟に入院させられました」

 時代のせいか、その病院に問題があったのか……精神科病棟の環境は劣悪だった。3食、丼ご飯を出されて、食べることを強制された。

「『そんなに食べられない』と言うと、手足を縛られ、口に漏斗(じょうご)みたいなものを入れられて、胃まで管を入れられて、無理やり流動食を食べさせられたんです」

 もともと好きではなかったが、これで母への拒否感は頂点に達した。ミヨ子さんを恨んだ。

「さらに、母は拒食症の本を買ってきて、妹に見せて『由里子はできそこないだ』と言いました。妹は母のことが大好きでしたから、このことで私と妹の関係もギクシャクし出したんです」

 そんな思いをしながら、なぜ若宮さんは最後まで母を見捨てなかったのか――? 母から逃げてもよかったのに。

 そんな疑問を口にすると、「そんなものですよ。『お母さーん』みたいな感じにはなれなかったけれど。介護できてよかったと思います。やれていなかったら、後悔したでしょうし」と淡々と答えた。

 ミヨ子さんとケンカになると、「私はできそこないだからね」と由里子さんが自虐的に言う。するとミヨ子さんは「本当にそうだ」と返す。「お前の世話になってなんかいない」とまで言われたと苦笑する。