オスマン帝国時代に帝都として栄えたイスタンブールには、当時のスルタンが住まった場所が今でも残されています。代表的なトプカプ宮殿やドルマバフチェ宮殿とは少し雰囲気が異なる、アブデュルハミト2世が使用したマスラク・パビリオン(マスラク宮殿)をご紹介します。
マスラク・パビリオンとは?
まるでおとぎ話に出てくるような大きな真っ白の邸宅で知られるマスラク・パビリオンは、1860年代に当時のオスマン帝国のスルタン(皇帝)、アブドゥルアジズによって建設されたのち、1868年、彼の甥にあたるアブデュルハミトに与えられました。「マスラク」という名は、当時市内に水を供給するためにこの地域にあった「マスラク」と呼ばれる配水池に由来しています。アブデュルハミトは王位継承者時代にも統治時代にも、家族とともにこの場所を使用しました。
皇太子時代のアブデュルハミト
イスタンブール旧市街にあるトプカプ宮殿で生まれた皇太子アブデュルハミトは、父アブデュルメジト1世からは冷たくあしらわれて、幼少期は孤立した生活を送っていました。しかし叔父にあたるアブデュルアジズは彼に対して好意的でした。1876年に王位に就くまでは、叔父に与えられたこの場所で、馬や動物の繁殖、農業に従事していました。何年にもわたって邸宅の周囲の土地を購入し、大規模な農場に造り変えました。アブデュルハミトは、ここマスラクの農場で過ごした間、皇族であったのにもかかわらず家族や子供たちとともに質素な生活を送りました。子供たちに音楽のレッスンをしたり、詩を書いたり、作曲をしたり、しばしば自身の大工作業場で働いたといわれれいます。
アブデュルハミト2世の統治時代
マスラク・パビリオンはアブデュルハミト2世の治世には皇族の避暑地として利用されました。また、狩猟のための別荘地としても使用され、彼とその家族は頻繁に足を運びました。また行政に関する職務が行われるときや外部からの政治的な訪問がある場合は、マベイン・ヒュマユンという、スルタンとその家族が時間を過ごす邸宅とは別の行政棟が使用されました。