4月13日に、SiMが全国ワンマンツアー『ROAD TO DPF23 “THE LiBERATiON” TOUR』の川崎公演をCLUB CITTA'で開催した。
この日のオープナーは「PANDORA」だった。ブルータルなリフと2ビート、デスヴォイスと幽玄なメロディを矢継ぎ早に繰り出しながら90秒を一気に駆け抜ける本楽曲が、このツアーとこの日のライヴが何たるかを端的に表していたと言ってもいいだろう。この暴動感に満ちたオープニングナンバーは、体も心も解放せよ、声も拳も高らかに掲げろ、というメッセージに他ならない。もっと言えば、“PANDORA”という楽曲タイトル自体が、10年の時を経て「匣を開け放て」という意志のようにも響いてくるから面白い。
実際、この曲のイントロが鳴った瞬間に怒号のような歓声が巻き起こり、ピットに激しいモッシュの渦が生まれる。続けざまに披露された「KiLLiNG ME」ではクラウドサーフの嵐。ツーステップとも呼べないような名前のないダンスを爆発させる観客も多数。冒頭から即着火、グチャグチャとしか言いようのない、だけど幸福なフロアが完成する。バラバラなままひとつの音に向かい合う人々の姿は、これぞライヴハウス、これぞロックバンドのライヴだと言いたくなるものだ。この時を誰もが待っていた、ついに自由な遊び場が戻ってきた--クラブチッタはそんな昂りだけに満たされていく。そのすべてに夜明けの瞬間のような感覚がある、ようやく辿り着いた解放の瞬間である。
「ようやく」と書いたのは、SiM(及び多くのロックバンドたち)の長い闘いを思ってのことだ。本ツアーは『THE LiBERATiON』(=解放、釈放)の名の通り、声出し、モッシュ、クラウドサーフなどなどに一切の制限を設けていないわけだが、SiMにとっては2021年の『DEAD POP FESTiVAL』から貫いてきた闘争の一旦の結実がこのツアーなのである。
「今(声出しなどを)我慢してくれていることは、必ず未来のロックシーンに繋がる。どうせだったらルールに則って正々堂々と生き抜いてやろう」
これは2021年のDEAD POP FESTiVALのステージ上でMAHが発した言葉だ。2020年以降、ライヴハウスで新型コロナウイルスのクラスターが発生したことなどに端を発して音楽が槍玉に上がり、人々の鬱屈を発散させるための生贄のようにされたこと。特にフィジカルな爆発が起こるロックバンドのライヴは警戒され、キャパシティ制限やソーシャルディスタンシングの徹底などのルールに縛られていくようになった。そこにいる人と人と人によって自治され、だからこその自由が働いていたライヴの現場が外的なものに干渉されるようになったのだ。
挙げ句の果てには音楽が「不要不急」という言葉で片づけられるようになっていっていき、ルールだけに限らず世論や世の中の空気自体に音楽が押し込められていった。そんな状況の中で大事にすべきは、何より自分たちが自由でいられる場所を守り続けることなのだと、SiMは徹底して訴え続けた。「ルールに則って」という言葉は、単に爪を隠すことを意味していたのではない。不要不急と言われようが、誰かにとっては取るに足らないものだろうが、どんなに縛られようが、音楽は俺たちの命を繋ぎ続けてくれたものなのだと示そうという想いがその言葉には込められていたのだ。社会の中でNOを突きつけられるであろう衝動を受け入れて自由を体現し続けてきたロックバンド、そしてSiMが、ルールに従ってでも音楽を守りたいと示し続けることが何よりの闘い方なのだと。その姿勢を今の今までSiMは貫き続けてきた。昨年開催した「声出し解禁ツアー」もそう。段階を踏みながら、今ならここまで許容できるだろう、というラインを丁寧に探ることでSiMは進んできたのだ。
「3年間、こうなることを見据えて活動してきました。その活動に付き合ってくれたお客さんたち、ありがとう。我々の闘いもここでひと区切り。だけどここで終わりじゃないから。この波を全国のライヴハウス、Zeppみたいな大きい箱にも広げていって、モッシュもクラウドサーフも解禁させていかなくちゃいけないと思ってる。まだまだ満足することなく、とりあえず今日は死ぬまで行きましょう。……コロナが来てから音楽やライヴが槍玉に挙げられて、生活に必要なのかと言われて。そんなバカみたいな質問、俺は本当に下らないと思う。遡れば原始人の時代から、古代から、人は音楽と共に生きて来たんだよ。まぁでも、そんなことすらわからないバカにとっては我々のカルチャーは危険過ぎるってこともわかる。だからこそ、そんなバカにもわかるように、こんな見た目をした危ないバンドが一番安全なライヴをすることで世間に認めさせようとしてきたんだよ。やり切ってよかったと思う。やり切ったからこそ、誰からも文句を言われずに『おめでとう』と言ってもらって今日を迎えてるわけでしょ。……自由になりたかったら、脱獄するんじゃないんだよ! 看守たちに鍵を開けさせて、あいつらが見ている前を胸張って歩いて出ていく! それが自由、Liberationなんだ! 自由へ突き進もう!」
端的かつ的確にSiMのスタンス、ひいては自由の定義までを語り切ってから「The Rumbling」へと雪崩れ込んだライヴ。雄大な情景を描く<if I lose it all/outside the wall/live to die another day>というサビは、今ここを抜け出して自由になるための真っ当な闘い方を突きつけるものとして響いてくる。
15年前にリリースされた「set me free」もまた自由を希求して叫び暴れる楽曲だが、己を縛るものを憎みながら解放を求める歌である。そんな楽曲と、上記したMCや「The Rumbling」が同時に存在していること。そのコントラスト自体が、SiMの歩み自体を表しているのだ。憎み、嫌い、ぶち壊すことだけが反抗ではない。自分たちだけの幸福を築き、新たな道を作っていくことこそが、我々を縛るものに対する何よりの対抗手段なのだと。今のSiMはそのことを理解し、体現しようとしている。
2016年にSiMが最初で最後の武道館公演を行った際にMAHと交わした会話を思い出す。
「The Beatlesが武道館でやってから、ここは数多のロックバンドの夢だったわけでしょ。でも近年、ロックバンドにとっての武道館があまりに身近になり過ぎて、ただの都内のホールみたいに思われてる。俺らはそうじゃなくて、ロックバンドのライヴ、ロックの夢っていうのはもっとデカいものだと思ってるんだ。こんな変なミクスチャー音楽で危ない見た目の俺らじゃなくて、いわゆる真っ当なロックバンドの人がそれを見せてくれたらいいのに、誰もやろうとしないからさ。じゃあ俺らがやるしかねえかっていう感じだね」
本来ならばヒールでありたいと語り続けてきたMAHだが、常に彼らはロックバンドのどこに夢があって何と闘い続けるのかを間違えない。だから漆黒のダークヒーローとしてロックを背負い、この数年を闘い続けてこられたのだと思う。これは、SiMのバンド名と音楽に関しても同じことが言えるだろう。SiMのバックドロップには「Silence iz Mine」という、SiMの元のバンド名が綴られている。静寂は俺のもの--つまり俺の安穏を踏み荒すことを許さないという意味合いがここにあり、その精神性は多くの楽曲に通じているものだ。
冒頭に記した「PANDORA」も、人間という箱の中身を勝手に開けてはならない、人の間にある線を踏み越えず尊重し合うための生き方をしていこうという想いが根底にある歌だ。それをメタファーや示唆的な言葉を用いて皮肉的に綴るのがMAH節なので、攻撃的で毒っぽい歌だと受け取られやすいのも事実。しかしその根幹には、誰かが大事にしているものを無闇に壊さないための生き方を模索する姿勢がある。
だからこそ、人の自由、人の痛み、人の宝を我がもの顔で踏み荒らすものに怒り、闘うのがSiMの音楽なのだ。自分だけの穏やかさを守るために、外の喧騒に怒鳴り、ノイズ以上の爆音でノイズを殺す--だからこそSiMはどれだけラウドでもその音の中心に巨大な静けさがあり、どれだけポップなメロディがあっても目だけが笑っていないのだ。自分だけの静寂を守るために怒り、闘う。これはレベル・ミュージックの本質とも言えるものであり、SiMがレゲエとパンクの両方を同線上で消化している理由そのものだとも言えるだろう。自由とは何かを訴え、実際に勝ち取った自由を目の前で叶えているライヴは、そんなSiMの根源にまで思いを馳せる瞬間の連続だった。
「R.P.G」や「Fallen Idols」など多くは聴けないナンバーも交えつつ、主軸にあるのは極端なヘヴィパートとモッシュパートを携えた楽曲たちだ。たとえば「CROWS」。レゲトンとブレイクダウン、モッシュパートとラップと歌謡曲のメロディを矢継ぎ早に繰り出す「SiM全部盛り」と言える楽曲だが、過剰なほどのミクスチャーだからこそ観客の動きは誰ひとり揃うことなく、思い思いの衝動と自由が交錯するだけの幸福なカオスが生まれていく。
さらにこれも当然のことだが、そんなピットの熱気を受け取ったSiMの演奏もまた衝動一発に振り切れていく。音以上にエモーションに乗って突っ走るライヴは、BPM以上のスピードを感じさせるもので、汗臭いフロアやびしょびしょのTシャツ姿の観客の姿以上に、つんのめる寸前で爆走していくサウンドにこそ「ライヴハウスの本来の形」を見たのだった。
「本当のSiMのライヴはこれだなって思います。コロナ禍中のライヴでも『MAKE ME DEAD!』をやったけど、みんなが歌えないのに<Shut UP>と叫ぼうとして『何がシャラップなんだろう』と思って。そうやって口をつぐむしかなかった私を見ていたでしょう?(笑)。やっぱ、そういう矛盾も出てきちゃうんだよね。こうやって自由に暴れられる客席を想定して曲を作ってきたわけだから。でもね、約束は約束で守りたいと思うんだよね。コロナ禍のガイドラインがあった時のライヴがよかった、ダイヴやモッシュがないから観に行けたっていう親子連れの方がいたり、年齢が上の人がいたり、その人たちの存在があるのもわかってるから。なるべくこれから、ホールとかでもやっていこうかなと思ってます。これまでは全然ホールとかでやってこなかったけど、やろうと思っているので、気長に待っていてください」
熱気まみれのフロアを見てどんなに昂ろうとも、今この場にいられない人を排除しようとしないのがMAHである。「ライヴハウスの本来の形」とは書いたが、単に「あの頃に戻った」と捉えるのではなく、コロナ禍を経たからこその新たなライヴハウスカルチャー、ライヴの在り方を築いて行こうとしている言葉が上記のMCだ。自由な場所に人が集まれば、その場所の外が生まれる。そうなれば、本来的な自由との矛盾が生まれる。そのことにまで思考を巡らせ、人を排除しない場所としてのライヴを作り上げていく決意を掲げたのも、この日のライヴの意義だったように思う。
クラウドサーフやモッシュを楽しんでいた観客がライヴハウスから離れていた間、ライヴの灯を消さずに維持し続けた新たなオーディエンスたち。その存在もまたSiMにとっての仲間であり、これから先の未来を作っていく同志である。そのことを心から理解している人間ならではの、「取り戻す」だけではなく「新たに作っていく」意志が垣間見えるライヴだった。
アンコールでは、「JACK.B」、「f.a.i.t.h」を連打。特に「f.a.i.t.h」で巻き起こった巨大なウォール・オブ・デスを見て、不思議な感慨を覚える人も多かっただろう。不思議な感慨と書いたのは、フィジカルな接触が許されなかったコロナ禍中、ウォール・オブ・デスの代わりに「前髪と前髪を分けて、前髪同士をぶつけてください」と語りかけていたMAHの姿があったからだ。あまりにシュールな代替案を前にして「前髪?」と困惑しながら笑っていた観客の姿が懐かしい。シュールだろうがなんだろうが、必死にもがきながらこの瞬間を迎えたのだと。暴虐性というより歓びが炸裂するようだったウォール・オブ・デスは、まさに夜明けの光だった。
「これが俺たちのやり方、これが俺たちの闘い方。これが俺たちの進んで行く道! DEAD POP FESTiVALで会おう」
そう言い残してステージを去ったSiM。あの頃に戻ろうとするのではなく、あの頃の先へ進む。その潔さこそがバンドを強靭にしたとわかる、痛烈なライヴだった。
Text:矢島大地 Photo:スズキコウヘイ
<公演情報>
SiM『ROAD TO DPF23 “THE LiBERATiON” TOUR』
4月13日(木) 川崎CLUB CITTA'