「百獣の王」と称されるタレント・武井壮さん。その輝かしい功績の全てと、ストイックな努力の裏に隠された壮絶な過去。そしてその努力の原動力や、自身の驚くべきトレーニング方法など、大注目のアスリート武井壮さんについてまとめました!

武井壮のプロフィール!本名や年齢・血液型は?

名前:武井壮(たけいそう)
生年月日:1973年5月6日
出身地:東京都葛飾区
身長:175cm
職業:タレント・マルチアスリート
所属事務所:SPECIALIST JAPAN

タレントであり、元陸上競技選手のアスリート。陸上競技・十種競技元日本チャンピオンです。

「百獣の王」を目指し、たくさんのスポーツに挑戦した、そのすごい経歴で脚光を集めました。

武井壮の本名は武井壮?

武井壮さんは本名だと言われてます。アスリートとして活躍していた時も武井壮で記録されています。

しかし本名の旨は公表されていないので、明言はしかねます。

事務所はSPECIALISTJAPANでスペシャリストばかり

武井壮さんはSPECIALISTJAPANという事務所に所属しています。

SPECIALISTJAPANに所属している芸能人は、ボディワーカーとして活躍する森拓郎さん、「アーユルヴェーダ薬膳」をメインテーマに研究する料理評論家のりんひろこさんが所属しています。

武井壮は父子家庭だった!壮絶な生い立ちに涙

たくさんの場面でマルチに活動する武井壮さん。そんな武井壮さんの生い立ちに迫ります。

家庭には父母ともに不在で兄との2人暮らし

武井壮さんは小さい頃に両親が離婚し、母親が家を出ています。父親・兄・武井壮さんの3人家族でしたが、父親も他に家庭を持ち、兄と当時中学生の武井壮さんが残されました。

「親からの愛情に飢えていた」という武井壮さん。2歳年上の兄・武井情さんは「有名になって多くの人に認めてもらい、喜んでもらいたい」という理由から、俳優を目指して養成学校に通っていました。

坂上忍さんの付き人もしていたという武井情さん。しかし22歳の時に体調不良を訴え、検査の結果末期がんであることが発覚しました。

そして24歳で帰らぬ人になりました。残された武井壮さんに兄の「認められたい」という気持ちが湧き上がり、武井壮さんの努力の言動源になったと言います。

武井壮の最終学歴は神戸学院大学

武井壮さんは、修徳中学校・高等学校を経て、神戸学院大学法学部に進学しました。修徳中学校・高等学校は私立の中高一貫校です。

しかし両親がおらず、兄も俳優を志して養成学校に通っていたため、学生時代は一人暮らしだったという武井壮さん。私立の学校を選んだ理由は「特待生は学費が免除される」という制度があったからだそうです。

中学校は野球部、高校はボクシング部に所属し、部活動に打ち込んでいたと言います。そして特待生になるために成績もトップを維持し続けます。成績優秀者は学費全額免除で、学年3位に入れば入学金も免除されるようで、その制度を目指していたと言います。

神戸学院大学に進学し、高校の職員免許を取得する傍ら陸上の短距離をはじめ、頭角を表します。その功績を認められ、神戸学院大学在学時に中央学院大学にスカウトされ、神戸学院大学卒業後に編入し2年ほど通って卒業しました。

武井壮のミラクルづくしの「記録」をチェック!

アスリートとしてたくさんの記録を持っている武井壮さん。そんな武井壮さんの華やかな功績を見ていきましょう。

十種競技元王者にして世界マスターズ陸上で金メダル!

●陸上

1997年 第81回日本陸上競技選手権大会 男子十種競技・優勝 7606点
1997年 第66回日本学生陸上競技対校選手権大会 男子十種競技・優勝 7500点

●マスターズ陸上

2013年 第20回世界マスターズ陸上競技選手権大会
200m(40〜44歳クラス)22秒64 銅メダル
100m(40〜44歳クラス)11秒15 4位
2014年 第34回沖縄マスターズ陸上競技選手権大会
4×100mリレー(40〜44歳クラス)42秒25 優勝
2015年 第21回世界マスターズ陸上競技選手権大会
4×100mリレー(40〜44歳クラス)42秒70 優勝
2018年 第21回世界マスターズ陸上競技選手権大会
4×100mリレー(45〜49歳クラス)43秒77 優勝

陸上での自己ベストは、1997年10月4日国立競技場にて十種競技 7606点、100m 10秒54、400m 47秒92、1500m 4分8秒です。さらにマスターズ陸上リレーで3回の優勝を飾っています。

ゴルフ未経験で1年でスコア69をただき出したことも

1998年5月〜12月 ダンロップアメリカンキャンプ
1999年2月〜2000年1月 USGAハンデ1.3取得(ベストスコア69)

武井壮さんは、中央大学卒業後の1998年から2000年までの2年間、アメリカにゴルフ留学に行っています。ベストスコアは、なんとゴルフを始めてたったの1年で69にまで及びました。