誕生日を祝う風習は当時の武家の間にもあったようですが、家光の場合、イギリス商館の館長として江戸時代初期の江戸で暮らしたリチャード・コックスの日記に、「正月(=1月)十六日」が「皇帝(=二代将軍・秀忠)の長子の誕生の祭り」だという記述が出てくるので、表向きは「1月16日」を誕生日ということにしていたようです。仮に「家光の正しい誕生日は公表しない」というお江の意思が守られ続けていたら、家光の誕生日は今日でも「1月16日」とされていたかもしれません。なぜ1月16日なのかはよくわかりませんが……。
おそらく、家康の死後、彼の本当の誕生日の情報を世に出すかどうかの議論もあったでしょうが、ドラマにも出てきたように「厭離穢土 欣求浄土(おんりえど ごんぐじょうど)」、つまり汚れたこの世をまるで浄土のようにすることを目標に生きた「神君」家康公にふさわしく「寅の年、寅の日、寅の刻生まれ」にしておこう……ということになった気がします。