ドラマでは、「兎」を狙う「狼」として描かれる織田信長のキャラにも人気が集まっています。家康がまだ少年のときの信長と悪友たちは揃って赤い衣服をまとっており、まさに不良グループごとにチームカラーがある“カラーギャング”のようです。信長が家康少年のことを「オレのおもちゃ」呼ばわりし、武術の稽古と称して組み伏せ、いじめている姿に妄想の燃料を得たBL界隈が非常に盛りあがり、Twitterのトレンドに「スーパー攻め様」のワードがランクインするなど、(かなり局所的にせよ)話題性のある第2回でした。
さて今回は、「寅の年、寅の日、寅の刻生まれ」といわれてきた家康の誕生秘話についてお話したいと思います。
徳川家康の誕生日は、『徳川家家譜』などの「公式情報」でも天文11年(寅年、1542年)12月26日ということになっています。いつから彼が「寅の年、寅の日」だけでなく「寅の刻生まれ」ということになったかはよくわかりませんが、「寅の年、寅の日、寅の刻生まれ」というのは、当時の武将にとっては、かなり特別な属性でした。
かつて聖徳太子が、物部守屋(もののべのもりや)の討伐を毘沙門天に祈願していたところ、寅の年、寅の日、寅の刻に昆沙門天が太子の前に現れ、そのご加護を受けた太子は物部守屋に勝利できた……という伝承は戦国時代でも有名だったので、ドラマの於大の方が「急いで」出産したのも、その時刻に生まれている意味が大きかったからでしょう。