仏教にのめり込んだきっかけ

笑い飯 哲夫が現代の子どもたちに思うこと「教育に関して、とんでもない野望がある」<後編>
(画像=『女子SPA!』より引用)

――哲夫さんが仏教に興味を持ったきっかけは何だったのでしょうか?

哲夫:子どもの頃、実家に月に1回御経をあげに来てくださっていたお坊さんの声がすごく綺麗だったんです。それで「ご先祖さんに向かって何を言ってるんやろう」とすごく気になっていて、大人になってから自分で調べるようになりました。それで「こういう意味の物語をご先祖様に言っていたのか」と納得できました。「面白いな」という気持ちが先にあるので、僕は熱心な仏教徒というよりは「仏教マニア」なんです。

――子どもの頃から好奇心旺盛だったのですか?

哲夫:そうなんですけど、自分が「好き過ぎること」が人にバレるのはすごく恥ずかしいんです。仏教関係の仕事をするのも以前は「カタいイメージがつくからやめてくれ」とずっと断ってました。でも仏教の本を書く仕事をいただいたときに「もうええか」と諦めたら、それで仏教関係の仕事を沢山いただけるようになりました。

 だから「諦める」ことは大事だと思います。「諦める」は仏教から来ている言葉で「明らかにする」と同源です。諦めて余計な物を脱ぎ捨てていったら真の自分が見えてきます。それは「明らかにする」と同じこと。仏教を学ぶと「なるほど」と思うことが多々あります。

お金をかけず勉強できるようになった理由

――そもそも哲夫さん自身は、なぜお金をかけなくても勉強ができるようになったのですか?

哲夫:小6のときの担任の先生に、卒業式のとき「お前、ほんまヤバイからこれから頑張れよ」と言われたんです。それくらいクソ生意気やったんですね。当時通っていた塾のおばあちゃん先生には「あんた絶対賢くなるから勉強しいや」と言われました。

 中学校に上がったら、僕の姉に「中学校の中間、期末テストはめっちゃ頑張って勉強しないとあかんで」と言われたんです。それを僕はすごく真に受けて、最初の中間テストでめちゃくちゃ勉強しました。そしたら5教科で450点以上とって、小学校のときはアホやったのに「俺すごいやん」と思ったのが最初です。

 でもそれを隣の席の可愛い女の子に自慢してしまって、その後ずっとその子に嫌われてしまいました。それで「こんな可愛い子に嫌われてしまって、もう中学生活の楽しみは捨てて勉強しよう」と思いました。

 あと、奈良高校のサッカー部が強くてサッカーのスタイルもかっこよかったので、「賢いやつばかりの奈良高のサッカー部なら、俺がエースストライカーになれるやろ」と思って頑張って勉強しました。見事受かってサッカー部に入ったら、俺が一番下手だったんですけど(笑)。「みんな勉強もできてサッカー上手いんかい!」と思って、そこから自分がエースストライカーになれるお笑いの道へ行きました。