別にいいけど、と思いましたねえ。基本的には、おもしろいことをやろうとしてスベっていること自体にはあんまり文句を言いたくないし、演歌歌手とラモスをツモってきた制作陣は仕事したと思うし、小松原の息子が遺品の中から借用書を見つけるタイミングもまあ、虫の知らせといいますか、ファンタジーとして処理していい範疇でしょう。

 なんかこう、すごくシナリオ会議は盛り上がったんでしょうね。「いいですね! 『ビッグ・フィッシュ』だ!」「ティム・バートンの!」なんつってさ、こういうのは見る側だって楽しんだほうがお得ですし、わざわざ矛盾を指摘したって不毛なこともよくわかってる。だって作ってる側が、そもそも物語の筋を通そうとしてないんだもん。

 もう今日だけは、あの愛すべき永吉さん(松平健)を笑って見送ろう。そうやってNHKが仕掛けてきたこの「お祭り」に乗るか、乗らないか。これは公共放送ですから、ここで公による選民が行われているともいえるわけです。倫理を問われているし、エンタメやフィクションに各々が何を求めているかを見定める機会でもあると思う。

 乗らない側でいたいと思いましたね。一生、こういうのには乗らない側でいたい。

 NHK朝の連続テレビ小説『おむすび』第105回、振り返りましょう。

この期に及んでも「手柄」至上主義

 ラモスも演歌歌手の山内さんも、永吉に世話になったと言ってやってきました。

 山内さんは「『君には才能がある、自分を信じなさい』って励ましてもろうた」。

 ラモスは「それはそれは、たいへんお世話になって」「Muito obrigado(どうもありがとう)」。

 シーンの意図としては、故人の生前のお人柄が偲ばれるところです、といったところでしょう。でもこれでは、お人柄はまるで偲ばれない。山内さんともラモスとも、利害でしかつながっていない。

『ビッグ・フィッシュ』をやりたいのであればね、例えばの話です。