山内さんには「歌で悩んどったときに、たまたま糸島のスナックで永吉さんに会うたんです。ただ純粋に心を込めて、楽しそうに歌う永吉さんの姿を見て、音楽の楽しさ、歌で心を伝える素晴らしさを思い出したんです」と言ってほしかった。
ラモスには「私にループシュートを教えたって? ハハハ、永吉さんらしいな。あの人、野球の話ばかりでサッカーのことなんてひとつも知りませんでしたよ。でも、楽しい人でね」「Eu te amo(あなたが大好きですよ)」と言ってほしかった。
ただ好き勝手に生きているだけで、誰かの救いになる人であってほしかった。
ここね、人に何かしてやったこと、誰かの役に立ったことにしか価値を見出せない『おむすび』というドラマの本性が露見したと感じたんです。
「米田家の呪い」「人助け」といえば聞こえはいいですが、これは人を「役に立つか/役立たずか」でしか評価できないという価値観がドラマの根幹にあるからこそ生まれたシーンだと思うんですよ。
主人公・米田結(橋本環奈)という人物の造形も、この価値観に沿って作られているということなんでしょう。結さんが人を助け、手柄を立てることを「何より素晴らしく価値がある」としている。そして画面の向こうから視聴者に対して「手柄を立てたのだから私を愛してほしい」と叫んでいる。成果でしか人の魅力を表現できないと思い込んでいる。そういう価値観でドラマが作られている。
それに「乗らない側」でいたいと思うんです。成果じゃないところで、感謝されるかされないかじゃない部分で、人を愛せる側でいたいと思うんです。
今日のお葬式のシーンを見ていて思い出したのが第42回、専門学校時代の結さんが星河電器のピッチャーだった翔也(佐野勇斗)に自作の「社食を組み合わせた献立」をプレゼントした場面です。サッチンに修正される前の初期バージョンね。
あのとき、翔也はその献立を受け取って、内容をよく確認してから「助かる」と言ったんですよね。それについて、このレビューでは以下のように書いています。