「好きな人がここまでやってくれたら、まず『ありがとう』『やっぱり大好き』って気持ちが先にくるものじゃないのかね。目の前にその好きな人がいるんだぜ、思わず抱きしめたくなるもんじゃないのかね」

 人が人に寄せる愛情というものがまったく画面から感じられない、その献立の内容に価値があるかどうかしか語ろうとしない、すごく冷たくて恐ろしいシーンだった。

 加えて翔也の話でいえば、後にプロになって大活躍しているラモスや山内さんにそこまでの金言を与えられたなら、あの「福西のヨン様」にも何かしてやれなかったもんかね、とも思うよね。高校時代はめっちゃ期待してたし、「ホークスに絶対来い!」ってテンションだったよね。ラモスや山内さんを業界トップクラスに伸し上げるだけの力を持った人だったんでしょ、永吉さん。だったら何か、彼も助けてやってほしかったよ。無残だったぜ、野球選手としてのヨンの最後は。

 ちなみに「Eu te amo」はマルシアのアルバムタイトルです。まーちゃんごめんね。

「役立たず」の象徴としての妹2人

 愛子みたいな人だったら、きっと聖人の妹2人とも仲良くなってたと思うんだよな。実の父親を亡くした2人の妹たちに、真っ先に「このたびはご愁傷さまです」と声をかけに行けるのは、愛子のはずなんです。家族愛を描こうというドラマで、故人の娘2人がまったく無視されるというのも、すごく怖いと感じました。

 通夜が終わり、そこに残ったのは聖人一家だけ。最前列に座っていた中年女性2人がおそらく妹なのでしょうけれども、彼女たちには家族もいないし、早々に画面から追い出されている。なぜなら、この2人の妹はストーリー展開の役に立たないからです。『おむすび』の価値観でいえば、視聴者に何の成果も与えないから必要ないということです。

 かろうじて、ばあば(宮崎美子)が、永吉が役に立ったか立たないか、助けられたかどうかじゃなく「会いたい、笑い声が聞きたい」と語ってくれたことが救いだとは思ったけど、その思いはあなたの娘にも聞かせてやってよ。遺影の永吉は将来の聖人であり、ばあばは愛子であり、あの妹2人はアユと結さんですよ。誰の葬式から誰を追い出したのか、もう一度よく考えてほしい。