食べたしりから腹が減る……懲役(受刑者)たちが“中”で口を揃えて言う言葉だ。
粗衣粗食に支配された刑務所の中では、食事を終えた瞬間から受刑者たちは腹を空かせている。筆者はこれまでさまざまな元受刑者たちを取材してきたが、彼らが揃って、高い熱量で口にしたのが、刑務所の“中”での食生活のことであった。
まるで親の仇かのように食生活に翻弄される。それほど刑務所での食事が受刑者に及ぼす影響力は甚大で、どんな凶悪犯も太刀打ちができない。
「◯◯刑務所は筑前煮に箸が立つ」「◯◯刑務所の天麩羅はシャバでも食える」「◯◯刑務所にはパン工場ができたので、朝ごはんはパンが食える」などなど、どこの刑務所にも複数の刑務所を渡り歩いた情報通が存在し、中での食事情をレクチャーしてくれる。
それだけではない。多くの受刑者が、雑誌やテレビなどのグルメ情報にかぶりつき、出所したら絶対に食べに行こうと店名や住所を細かにノートに控えているのだ。
だが、ほとんどの受刑者が刑務所から一歩出るとそんなことは頭から消え去り、ノートに書き記した店を訪れることはない。中の生活ではあれだけ恋焦がれていたはずの食べ物も、シャバでは自由に口にすることができる。それゆえ社会に帰れば、食べ物のことで心が満たされることはもうないのだ。
本書『刑務所ごはん』は、反社会勢力や犯罪者たちの特別な言動に焦点を当てたような、いわゆるアウトロー本ではない。刑務所で出される3度の食事について、一般人が知ることがない事実が淡々と提示されている。だからこそ面白いのだろう。その一方で、受刑者から届いた自筆の手紙も多数収録されており、そこにはいっさい飾ることない言葉で食事について記されている。リアルな文面からは、三大欲である食欲が生み出す執念が読み取れるのだ。
受刑者たちの声の多くは、どこかに不満が募っていて、「昔のほうが良かった」「今年は〇〇が出なかった」と現状を憂いているのだ。そんな食に対する声はストレートで、なにひとつ疑うことのない気持ちがこもっており、1日の食事に一喜一憂していることを窺い知ることができる。社会ではこんな心理状況になることもないだろうが、彼らは至って純粋かつ真剣なのだ。