また松姫は、勝頼の時代になって戦国大名としての武田家が滅亡するという憂き目にも遭いました。姫は武田家の他の女性たちと共に八王子の地へと逃げ延び、勝頼が戦死した後も当地で身を隠すようにして暮らしました。そうして逃げ延びた松姫を、信忠は呼び寄せようとしていたのです。
そんな松姫には「家康の側室にならないか」という話もあったようですが、おそらく家康に臣従した武田家の元重臣・穴山梅雪(信君・のぶただ)の配慮で、武田家に近かった親族衆の秋山家の娘で、於都摩(おつま)の方が松姫の身代わりに家康の側室になっています。
於都摩の方は、現時点ではドラマには登場していないようですが、史実であれば、家康が秀吉に臣従した天正14年(1586年)の時点で、すでに家康の五男・福松丸(後の武田信吉)を授かっています。ですから、ドラマにおいて「武田の女」絡みのエピソードは、完全にドラマオリジナルのお話になる可能性が強い気がします。
史実において、家康が武田家の血を引く女性を熱心に探し求めたことが知られているのは、天正10年(1582年)の武田家攻略当時の話でした。この時、鳥居元忠は「武田の家臣馬場美濃守氏勝(※信春という名でも呼ばれる)」の「女(むすめ)の美貌なるに心を寄せ」「之を拉し来つて妾とした」のだそうです。つまり、元忠は「徳川の一族家の女を娶り」……本来ならば元忠の身分では頭が上がらないような出自の正室を持っていたのに、あまりの美しさに馬場氏勝の娘に惚れて側室にし、家康に見つからないと嘘をついてまで隠し続けていたという話なんですね(以上、引用部は川崎浩良著『山形の歴史』から)。
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