「義父と義弟を追い返した」という一点がクローズアップされがちな小松姫は、それゆえに創作物では、戦国随一の気が強い女性で、夫・信幸は恐妻家にならざるをえなかったというように描かれがちです。しかし、城外の寺で義父たちをもてなす気配りもできる女性だったからこそ、信幸も彼女を大切に思い、後に48歳の若さで小松姫が亡くなったときには、「わが家の灯が消えた」と嘆き悲しんだというエピソードが存在するのだと考えられるのです。

 『どうする家康』では、佐藤浩市さんが威厳と品格を漂わせながらも、かなりアクの強い昌幸を熱演しておられることもあり、今後の真田家の面々との軋轢がより大きく描かれていきそうですから、真田の嫡男・信幸の正室となる小松姫にもスポットライトが当たる場面が多くなるでしょう。

 しかしここで気になるのは、ドラマにおける小松姫の名前が「稲」という点です。これだけのエピソードがある女性で、一般的にも知れ渡っている小松姫の名前を「小松」あるいは「松」などではなく、わざわざ幼名の「稲」にした理由は何でしょうか。過去の大河でも稲だったという伝統に則ったという面もありそうですが、徳川家に庇護された武田信玄の四女(諸説あり)の「松姫」を登場させる兼ね合いである気もしてなりません。次回のあらすじには〈家康が探させていた武田の女を、元忠がかくまっていたことがわかる。説得に向かった忠勝は、抵抗する元忠と一触即発の危機に陥る。改めて、於愛が元忠に話を聞くと、意外な事実が――〉とあるからです。

 諸説あるものの、武田信玄の四女ともいわれる松姫(信松尼)といえば、悲劇的な逸話で知る人ぞ知る女性です。織田信長の嫡男・信忠と婚約していたものの、武田家と織田家が同盟を解消してしまい、婚約も解消されてしまいますが(婚約だけは解消されていなかったという説も)、その後しばらくして信忠が改めて松姫を迎えようとした矢先、本能寺の変で信忠も戦死してしまったので、2人は結ばれることはありませんでした。