男性の単身者が「シングル里親」になる前例はなかった

 自らシングル里親になることを選択した、キワコさんとナオさん。しかし、シンさんはある日突然、その選択を突きつけられた。

「去年、(妻が)急に『耳が聞こえなくなった』と。念のため、頭のMRIを撮ったら、ちょっと大きめの脳腫瘍があった。で、手術を受けるっていう話になったんですけども、手術をする前の処置の段階でくも膜下出血になってしまって、そのまま意識がなくなって。そこから3カ月くらい頑張ったんですけれども、今年、亡くなりました。くも膜下出血になって、その日から意識不明なので、『子どものことをどうしたい』だとかまったく聞くこともできずに、突然……になってしまったので」(シンさん)

 里子の今後について、話し合う時間はなかった。突然、奥様を失っただけでもつらいのに、さらに彼は1人で子どもを育てる親になったのだ。「シングル家庭」も「里親」もどちらか1つで大変なのに、彼は両方を背負うことになった。しかも、奥様の急逝に直面した直後にである。

「つうかさぁ……シンさんって大変すぎない……?」(YOU)

 筆者は「シングル里親」という言葉を理解しきれず、ピンとくることがしばらくできなかった。しかし、シンさんの話を聞いてだんだんわかってきた。文字通り、彼は「シングル」で「里親」の立場に立つことになったのだ。ただ、里子を育てるなかで奥様を失った悲しみがまぎれる面もあるんじゃないだろうか? シングル里親でいる意味が、彼にはあると思うのだ。

「(妻が)意識不明になってから1週間くらいまでは悲しいのと、妻のことしか考えられないっていうのがあったんですけど、その後は悲しんでる暇がない。『子どもがどうなっちゃうのか?』っていう。ひとり親になっちゃうので、『委託解除が現実的に起こるんじゃないのか?』っていう心配が一気にきて」

「一応、児童相談所に『育てたい』と自分の意向は伝えるんですけど、『うちの管轄では、男性のひとり親で育てている前例はありません』と」(シンさん)

「イクメン」がもてはやされる世の中なのに、男性のシングル里親のハードルは高かった。男が子育てするという想定を、社会の側がしていないのだ。でも、前例がないなら、シンさんが前例を作ってパイオニアになればいい。

「そこから、児童相談所との話し合いが始まったんですけれど、『育児と仕事の両立って本当にできるんですか?』、『子育てをサポートしてくれる方は近くにいますか?』、『経済的には大丈夫ですか?』とか、児童相談所の方もすごく親身になってくれて。子どもが私に懐いてるのもちゃんと理解してくれたので、児童相談所はそのまま私が1人で育てることを許可してくれた。継続ということにしてくれました」(シンさん)

 柔軟に、そして親身になってくれたのだ。つまり、シンさんはその管轄内で初の前例者になった。彼が真摯に里子と向き合い、育てていたからである。お父さん、頑張った……。

山里 「1人で育ててみて、『大変だな』と思うときはやっぱりありますよね?」

シン 「もう、しょっちゅう、もう……何もかも、何もかもですけど(苦笑)」

「何もかも」という言葉に、ひとり親が子どもを育てる大変さが表れている。

「私が洗い物だとかご飯を作ったりしてるとき、向こうで子どもが遊んでるんですけれど、『パパ、見てー!』と寄ってきて足元にガシってしがみつく。そこでちゃんと相手をしないと、やっぱり怒りますし、癇癪を起こすように泣いたりもするし。3歳児がこちらの言ったことをすべて理解して、言うことを聞くなんて思ってないんですけど、やっぱり心に余裕がないと『ちょっと待ってって言ってるじゃん!』みたいなことになったりとか」

「子どもを寝かしつけると、やっぱり寝顔ってすごい可愛いので、そういう寝顔を見たりしながら『また怒っちゃったなあ……』って」(シンさん)

 余裕のなさから子どもを叱り、子どもの寝顔を見て反省する。シンさんはちゃんと、親になって子育てをしていた。彼が口にした反省は、まさに子を持つシングルの悩みである。