新婚時代を支えてくれた両親たちに感謝

――すごくスピーディーな展開ですね。ご結婚後の暮らしはいかがでしたか?

奇跡の69歳、“しょうがの女神”に聞く「美しい生き方のヒント」
(画像=『女子SPA!』より引用)

森島「卒業後も自分で染めた生地で洋服を作ったりはしていましたが、私は子どもを保育園に預けて働きたいとは思わなかったんです。今はたくさん選択肢がありますから、子育てしながら仕事を続けたり、育児中は辞めてまた復帰したり、それぞれの道を選べるのはいいことですね。

 外で働きはしませんでしたが、自宅で“子ども造形教室”を開いて、子どもたちに絵を教えていました。当時は夫の収入も多くはなかったので、毎月義理の母に『すみません、今月も生活費を貸してください』と頼んで、お給料が入ったら返しての繰り返しでした。夫の母は座布団の下にそっとお金を忍ばせてくれたり、私の母は『映画でも行ってきたら』と送り出してくれて、戻ると冷蔵庫の中にいっぱい食べ物が入っていた、なんてこともありました。新婚夫婦を支えてくれた家族の思いやりには、今も感謝の気持ちがやみません」

大好きだった夫との突然の別れ

――裕福な男性にも求愛されたそうですが、心は動きませんでしたか?

奇跡の69歳、“しょうがの女神”に聞く「美しい生き方のヒント」
(画像=『女子SPA!』より引用)

どんな料理にも合う森島さん特性「ジンジャーケチャップ」をかけたからあげ。

森島「全然。もちろんお金はあったほうがいいけれど、やっぱり『好き』って気持ちでしょう。結婚してしばらくして、夫が勤めていた会社が傾いてしまったんです。お給料が遅配したり、もらえないこともあって。そんな折り、出版社の知人が夫を引き抜いてくれて、夫はそこで35年間働きました。

 35年働いて、また元の業界に戻って、ようやく景気もよくなってきたとたん、彼は大好きなゴルフ場で倒れたんです。救急車に乗って、15分で心臓が止まったと聞きました。ごめんなさい、この話になると涙が……。先日七回忌だったんですが、今でも会いたいです。毎日、思い出しては泣いています。

 仕事でどんなに遅くなっても、会食やお付き合いがあっても、かならずご飯は『家で食べるから』といって私のしょうが料理を楽しみにしていてくれました。『どの料理が好き?』と訊いても、『なんでもおいしい』と。まぁ、私の選んだ人は、最高の人でした」