通訳スクールで教える私にとって、学期末になると悩んでいたことがかつてありました。それは「受講生の評価基準」です。学校では定期試験を実施しており、採点して進級の可否を決めます。講師になりたての頃の私は「どのようなラインをクリアすれば上のクラスに行かせられるか」で逡巡していました。

医師や弁護士と異なり、通訳者には国家試験がありません。民間の資格制度はありますが、業界が重視するのはあくまでも「実績」。経験がすべてなのです。私も通訳者デビューをめざしていたころ、エージェントに出向いては「経験はどれぐらいお持ちでしょうか?」と尋ねられるたびに答えに窮したものでした。仕事をいただいて初めて経験は積み重ねられます。業務にありつけなければ実績はゼロなのです。この矛盾を克服することが一番の課題でした。唯一の方法は、「会社員時代におこなった『なんちゃって通訳』」や「地元の国際交流団体で関わったボランティア通訳」などを履歴書に落とし込むことで、どうにか体裁を整えるというものでした。

さて、通訳評価に絶対的基準が存在しないのがこの業界の特徴でもあります。通訳学校の進級判定で、「原文と受講生のパフォーマンスを一字一句照らし合わせ、拾えたパーセンテージで判断する」というケースも聞いたことがあります。その一方で、「通訳者が感情を込め過ぎて訳すことは超越行為」という考え方もあるようです。つまり、人によってポイントは大いに異なるのです。

では最終的に何をめざせば良いのでしょうか?私はひとえに「聞き手が求めるものを提供すること」と考えます。通訳パフォーマンスは、同じ同通ブースにいる同僚通訳者、別室で控える依頼主やエージェント担当者のため「だけ」ではないのです。あくまでも「お客様」が通訳を通じて内容を理解してくださることがすべてだと思います。

その考えを私に与えてくれたきっかけ。それは西山千先生です。先生はアポロ月面着陸の際にNHKで同時通訳を務められ、その後、アメリカ大使館などで通訳業務に携わっておられました。

私が西山先生の同時通訳を拝見したのは、今からずいぶん前。当時師事していた松本道弘先生の私塾においてでした。松本先生は西山先生の一番弟子として大使館で同時通訳をなさっていたのです。とある勉強会の日、西山先生がゲストでお見えになり、いわば師弟による同時通訳が目の前で繰り広げられました。

西山先生の同時通訳。それはまるで音楽を奏でるような美しさでした。無駄が一切なく、早口でもなく、聞いていてうっとりするようなものだったのです。全訳ではなく、話者になりきり、話し手の趣旨を誠実に訳していくというものでした。以来、西山先生の同時通訳が私の中の理想形となりました。

「私の通訳は、これで良いのだろうか?」

通訳の仕事をしていると、私はこのような迷いに頻繁にとらわれます。でもそのたびに心の中で「聞き手第一」と言い聞かせます。そう考えると、世の中のあらゆる仕事において大事なのは「サービスを受ける側の気持ち」なのですよね。

(2022年4月12日)