友達の子供が嫌いなのは、環境や意識の違いにも原因が
女性同士の交友関係は独身時代、結婚、出産を通じて微妙に変化していくもの。お互いに子供がいないときは頻繁に一緒に遊んでいても、どちらかが結婚し、出産するに従って、以前のように遊んだり、会ったりする機会も減って行くものです。
また、最近は結婚しても子供はいらないという人や、独身主義を謳歌したい人も少なくありません。子供がいない人、子供に慣れていない人にとって、友達が子供を連れて遊びに来たり、せっかくの機会が子供のいたずらなどで阻害されてしまうと、ストレスが溜まってしまいます。
子供ができたら、お互いに環境や意識の違いがあることを理解していないと、友情にヒビを入れてしまうことも。「子供ってこう言うものだよ?」「産んだことない人には分からないかな」などと上から目線で言い訳された日には、日頃どれだけ温厚な友人でも顔色を変えてしまうでしょう。
「子供がよっぽど好きでもなければ、友達同士の会食に小さな子供を連れてくるのは非常識だと思う。テーブルの上をいじって飲み物をこぼしたり泣いたりしても制止せず、放置。しつけをする様子もない無神経さに唖然とします。もうおつきあいは無理かも」(30歳・教育)
こんな風な厳しい意見も聞かれます。
友達の子供を嫌いになる理由
もちろん、お互いのライフスタイルが変わったからといって、ぱったり音信不通になるなんてとんでもない!という思いから、変わらず連絡をくれる友達もいるでしょう。
しかし、そんな友達と集まっておしゃべりを楽しもうと思っても、やはり独身時代と同じようにはいきません。「子連れでもいい?」と聞かれて「赤ちゃんに会いたいからぜひ!」と答えたが最後…帰る頃にはママも友達もげんなりして、トラウマのように記憶に残ったなんてトホホ話もよく聞きます。
特にお店が子連れ向けではない、静寂感やおしゃれな内装がウリのカフェやレストランに「うちの子は平気だから!」と言い張って子供を連れて来たり、「この店は子ども向けに○がないんだね!」と大声で不満を伝えて来たりなど、こちらの肩身が狭くなるようなことをされたり、元々はあんなに付き合いやすい友達だったのに、変わってしまったなぁとがっかりすることもあるでしょう。久しぶりに会っておしゃべりできたせっかくの楽しい気分も、台無しになってしまいます。
友達を自宅に招く場合でも、よその子供がやりがちな、悪夢のアクシデントはいろいろありますよね。
「子供がカーテンで遊んで、レールが歪んだり、カーペットの上におもらしされたり散々。とにかくわがままに育てているのか、思い通りにならないと泣き叫んで、そこら中で暴れるのに呆れてしまった。涙と鼻水でソファーもぐしゃぐしゃに」(28歳・会社員)
「子供たちがブーブーと唾をわざと吐き散らして遊ぶ。物を舐め回してよだれだらけにする。汚いからやめてよと言っても友達は笑って見てるだけ。挙げ句の果てに『子供って可愛いよね、あんたも早く産めば?』。こいつは二度と家に呼ばないと決めた瞬間」(24歳・医療)
他にも、
「冷蔵庫を勝手に開けられた」
「台所からサラダ油を持ち出して引きずって歩かれた」
「ソファーやベッドの上で飛び跳ねられた」
「飾りや食器を壊された」
「ペットや自分の子供に対して乱暴」など、友達の子供が嫌いな理由は天井知らずです。
「うちの子は男の子だからこんな風に騒ぐし、興味津々で活発なんだよ?」などと好き勝手に振る舞う子供をたしなめず、周囲にフォローをしない友達だと、不信感も芽生えるはずです。
友達の子供が嫌いな自分に自己嫌悪も
例えば一度でも家で散々友達の子供に悪さをされてしまったら「友達の子供がどうしても受け入れられない」「友達の子供は嫌いだし顔も見たくない」と思うのは当たり前の感情です。しかし、「子供が嫌い」「嫌なことをするのは絶対に男の子」と嫌悪感を抱いたりレッテルを貼ってしまう自分に対して、自己嫌悪に陥るという善良な心の持ち主も少なくありません。
「友達の子供が受け入れられず、子供は我が家に来ないで欲しい、よその子供にあちこち触られたくないと思ってしまう自分の許容量のなさに愕然とします。知らないことばかりで本来守ってやるべき存在の子供を「嫌う」自分に、未熟さを感じて落ち込みます」(23歳・受付)
相手が大人でも子供でも、迷惑をかけられれば誰だって嫌だなと思うことは当たり前の反応ですから、友達の子供を嫌う自分に、負い目を感じる必要はありません。
それでも自己嫌悪に陥るのは、子供のしつけをしない友達に対しての憤りがあったり、それを相手に言い出せない自分のふがいなさが原因であることが多いのではないでしょうか。最近では、電車内のマナーや感染症対策についてなどで、過剰に正義感を振りかざしてトラブルになったりするニュースを見聞きします。「私がここで『ちゃんとしつけしなよ。』と伝えることは、余計なお世話かもしれない」と躊躇する人もいるでしょう。