脚本の意図としては、この佳代さんの夢と愛子のイチゴという夢をリンクさせているわけですが、いくらなんでも元気がすぎるだろう佳代さん。もう90近いはずだよね。このシーンから老衰や死の匂いを排除したこともまた、リアリティと生活感を削ぐことにつながっています。端的に言って、佳代さんことアスパラ妖怪の爆誕です。

 続いて愛子に追い打ちをかけるのが、佳代さんの「娘の言うことやけ、信じよ」というセリフです。

 この「娘」に痛く感動してしまった愛子さん。かつて12年にわたって同居し、その後も関係性は途切れていなかったはずの佳代さんと愛子の間で、「娘」と呼ぶことの重みがここで出てくるのも不自然の極みです。40年間の義母娘関係が漂白されてしまっている。実家から追われた家出娘を長男が拾ってきたんです。こんなのは結婚したときに済ましておくべき「感動」であって、今ここで佳代さんが初めて愛子を「娘」と呼んだのだというなら、あまりにも人物の歴史に対する作り込みが甘すぎる。

 こうしてまた感情の蓄積というものが無視されてしまう。どこまでも連続していない、どうやらドラマティックらしい風景の断片が提示される。登場人物を掘り下げると必ず破綻が訪れるのもまた、『おむすび』のパターンでした。

お口パクパク愛子さん

 そして家族会議が訪れるわけですが、『おむすび』が誰かを長セリフで説得しようとするとき、その話し手の口がパクパクと動いて無意味な音が長尺で発せられるシーンが何度もありました。

 結さんが拒食症まがいの女の子とその母親に「母親って何なん?」論を垂れ流した場面、同じく結さんが佳代さんを「きよし」に連れ出し、永吉の学費使い込みの理由を聞き出した場面。いずれも、何か意味のありそうな単語の羅列があって、相手が魔術にかけられたように納得して、話し手の思い通りに事が進みました。

 上記2つのシーン、結さんが何を話して、なんで相手が納得したか覚えている人はほとんどいないでしょう。何も話してないんですよ。今回も、愛子は家族に何も言ってないんです。「説得」という記号が置いてあるだけなんです。もう、今回の愛子が何を言って聖人を説得したのかも思い出せない。