「あなたは中原とは思想が合い、ぼくとは気が合うのだ」

 一般的には、中原中也は感性的な人間で、小林秀雄のほうが思想的な人だと思われているから、「ぼく(小林)とは思想が合い、中原とは気が合う」と言いそうなものだが、それが逆なところが面白い。やがて小林は泰子に「一緒に住もう」と言い、泰子は中原の家を出て小林との生活を始めるのだが、中原はその引越しの手伝いをしたばかりか、引っ越し先の泰子のもとをたびたび訪ねるようになる。

 奇妙な三角関係の始まりである。

 やがて泰子は精神のバランスを崩していくが、中原と小林もひときわ繊細な精神の持ち主であり、3人の関係は危うい均衡の上に成り立っていたようだ。あるいは、華やかに見えて次第に戦争へと傾斜していく大正という時代そのものが、真実を見通す感性を持ち得た者にとっては正気ではいられない世相だったのかもしれないが……。

 ともあれ、この『ゆきてかへらぬ』という物語は泰子という女性をめぐる小林と中原の関係の話のようでいて、実は泰子を介して濃密な関係を築いていたのは小林と中原だったのではないかという気がしてならない。

 小林が中原と並んで座り、「泰子は納豆の粒の数を数えて、いつも同じでないとおかしくなるんだ」と打ち開けるシーンは同じ女性を愛し、同じ女性に手こずらされたふたりの奇妙な同志愛のようなものも感じさせる。

 小林と中原の関係にBL的なものを読み取ることも可能なのではないか。

 同時に、まだまだ女性の地位が低く、女性の意思が軽んじられていた時代に、男たちの間を渡り歩きながら女性として自分の在り方を貫き、自由に生きようとした長谷川泰子という女性の格闘の記録としても読み取ることができそうだ。

 本作を見ると100年前の男女の恋愛が急に身近に感じられる。マッチングアプリに勤しむ令和の若者にとっても本作に描かれた男女関係から感じ取れるものは多いのではないだろうか。