お笑いコンビ・アップダウンのメンバーである竹森巧さん。若手時代は深夜番組『吉本ばかな』(日本テレビ系)で、ガレッジセール、ライセンス、シャンプーハットとユニットを組んで人気を博し、作詞作曲をした楽曲「ぬか漬けのうた」がNHK『みんなのうた』で放送されるなど、幅広い活躍をしていました。
そんな彼が現在、ライフワークとして取り組んでいるのが「戦争の歴史を伝える活動」です。2024年11月19日には、著書『桜の下で君と 特攻隊の真実を伝えるお笑い芸人の物語』(東京ニュース通信社)を発売し、自身の制作した二人芝居『桜の下で君と』が生まれるまでの過程や芸人としての人生を綴っています。

◆「本当はなりたくなかった」それでも芸人になった理由
――本書の中で本来は「芸人になりたくなかった」と語られていましたね。では、どのように芸人人生がスタートしたのでしょうか?
「高校の同級生だった相方の阿部浩貴から誘われたことがきっかけです。それと同時に会社経営者である父親への反発の気持ちが強かったんです。でも今になって思うのは、僕にとって父親が“社会”そのもので、それに反発していたんだと気付いたんですよ。僕は父親を通して社会を見ていたんですね。
まあ、今では嫌と思ってもしょうがないことなので、どうするかなって感じですけど(笑)。その時に持っていた違和感は、現在の活動にバリバリ影響を与えていると思います」

「はい。会社を継がないという意思はあったものの卒業後の進路は考えてなくて、オーディションを受けながらそのまま吉本に所属して芸人になっちゃいました。進学率100%の高校だったのに周りも僕らに感化されて、やりたいことやるようになっちゃって。僕らのせいでだいぶ進学率を下げちゃったんですよ(苦笑)。でも、東京で行列のできるラーメン屋をやってる奴もいたり、結果みんなにとって良かったのかもしれないです」