家康は「死にたくない」「完治させて長生きしたい」という欲望に死の直前まで振り回されていたわけですが、その家康に対して、一介の医師にすぎない片山宗哲が「あえて物申す」という態度を貫けたのは、彼の背後に秀忠がいたからです。秀忠は老父・家康を心配していましたが、家康に楯突く勇気がないため、片山という医師を利用したともいえます。しかし、その片山が流罪にさせられてしまったことに秀忠は驚いたでしょうね(なお、片山宗哲は家康の死後、秀忠によって呼び戻されて復帰しています)。この事件からは、家康は晩年に近づくほど、周囲を振り回し続ける「老害」的存在になっていったことが読み取れます。
家康はそのまま回復することなく、4月17日に息を引き取りました。家康の遺言については、秀忠など近親者に口頭ではあったかもしれませんが、「子孫の誰それにこういう言葉を残した」という具体的な史料は見当たらず、少なくとも現存はしていないようです。「家康の遺言」として一部に有名な「人の一生は重荷を負ひて遠き道をゆくが如し」で始まる『東照公御遺訓』も、本当に家康の言葉なのか、諸説ある状態です。家康が死ぬ間際まで上述のような状態だったことを考えると、完全創作の可能性は決して低くはないでしょう。『東照公御遺訓』の原文は家康を祀る日光東照宮に保管されているようですが、これはおそらく、死後に名実ともに神格化が進んだ家康に「それらしい」遺言がないことを惜しんだ水戸藩の徳川光圀(いわゆる水戸黄門)による創作ではないかとの説が濃厚なのです。
『どうする家康』は、のちの春日局である福(語りを務めた寺島しのぶさん)が「神の君」である家康の生涯を竹千代(のちの家光)に語り聞かせているという構造のようなので、晩年の「老害」ぶりはとても見られそうにありませんが、家康の最期をどのように描き、ドラマを締めくくるのでしょうか。最後まで見守りましょう。
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