江(マイコさん)と初(鈴木杏さん)から、姉・茶々の本当の思いを伝え聞いた家康は直筆の手紙を彼女たちに託しました。自分と茶々の代で乱世の幕引きを行おう、若い秀頼は生かしてやってほしいという家康からの提案を知った茶々は、さすがに心を動かされていたようでしたが、茶々が「母はもう……戦えとは言わぬ。徳川に下るもまたよし。そなたが決めよ。そなたの本当の心で決めるがよい」と秀頼の判断に委ねたことが思わぬ悲劇につながってしまいました。「ずっと母の言うとおりに生きてきた」という秀頼は、自分の「本当の心」を「今ようやくわかった気がする」と立ち上がりますが、しかしそこで彼が語った天下人像は、茶々が秀頼にずっと植え付けてきた理想の家康像であり、あくまで家康は天下人にあらずと否定する秀頼は、真田信繁たち浪人たちを前に「戦場でこの命を燃やし尽くしたい!」「共に乱世の夢を見ようぞ!」と意気込んでいました。茶々は秀頼の言葉に一瞬、驚きの表情を見せますが、最終的には「よくぞ申した」と我が子を褒め称えていましたね。そして涙しながらも家康からの手紙を燃やし、覚悟を決めた様子でした。茶々の激しく揺れ動く気持ちを見事に表現した北川景子さんが素晴らしかったです。

 ドラマでは、茶々の暴走を止めようと、江と初(常高院)が豊臣と徳川の間を熱心に取り持っていましたが、史実で目立つのは、江より常高院の活躍です。慶長19年(1614年)の大坂冬の陣では、真田丸での猛攻が起きる前後から、家康が常高院を起用して豊臣方に和睦交渉を試みようとしたものの、それに秀忠が猛反対したという記録もあります。

 常高院よりも江のほうが家康や秀忠との距離が近いため、平和の使者としてより向いているように思われますが、史実の秀忠は「豊臣など討ち滅ぼせ!」という主戦論者でしたから、秀忠の妻である江は動けなかったのかもしれません。常高院に比べ、江には徳川と豊臣のために具体的に活動した痕跡が見当たらないのですが、その背景には、そういう事情があったのではないかと思われます。あるいは、幼少期から茶々が運命に振り回されてきたことを江はよく知っていましたから、最後くらいは姉の好きなようにさせてやりたいと感じていたのかもしれません。

 さて、ついに次回・第48回は『どうする家康』の最終回です。あらすじには、〈(大坂夏の陣の)翌年、江戸は活気に満ちあふれ、僧・南光坊天海は家康の偉業を称え、福(のちの春日局)は竹千代に“神の君”の逸話を語る。そんな中、家康は突然の病に倒れる〉とありますが、15分拡大とはいえこれで最終回ですから、大坂の陣以降後の話のボリュームは多くはなさそうです。大坂城が燃え上がって茶々と秀頼の母子が自害し、夏の陣が豊臣方の敗北で終わる部分が最後の山場になりそうですね。大坂夏の陣に勝利してから、家康が亡くなるまでは2年ほどでした。ドラマの家康は己の遠からぬ死を見据え、達観した様子ですが、史実ではどうだったのでしょうか?