小松姫といえば、過去の大河ドラマでも何度も映像化された、有名な「あの」エピソードがありますよね。家康の東軍側についた夫・信幸の留守を沼田城で守っていた小松姫の前に「これが最後の対面になるかもしれない。城の中で孫に会わせてくれ」と、秀吉の西軍についていた義父・昌幸と義弟・信繁がやってきて、それを武装して出迎えた小松姫がはっきりと断った……という逸話です。

 小松姫が武装しなくてはならなかった本当の理由を要訳すると、昌幸の軍勢が「大殿(昌幸)が息子(信幸)の城に入ることに何の許しを得る必要があろうか。押し入るぞ!」などと大声を上げていたからだそうです。それゆえ姫も「たとえ義父上であろうと城主不在の城に無断で入ろうとする者は討ち取る!」と勇ましく対応せざるをえなかったのでした。

 沼田城への入城を拒絶された昌幸は、「立派な嫁をもらった真田家は安泰じゃ」と言ったそうですが、彼は名実ともに本当は何を考えているかわからない「表裏比興の者」でしたから、この時の本心もわかりません。立腹した信繁は「沼田に火をかけてやろうか」とも言っていたそうですが、この時、昌幸はそれを制しました。小松姫の「覚悟」を一応は評価していたのでしょう。

 もっとも、小松姫は侍女を通じて昌幸と信繁に「沼田城から少し離れた正覚寺(しょうがくじ)で待っていてほしい」とのメッセージを送っていました。姫は武装を解き、平服に戻ると子どもたち(昌幸にとっては孫たち)、そして武装したままの侍女たちも引き連れて寺に出向き、昌幸たちとひとときを過ごしたのだとか。