◆ひとつの歴史に異なる視点を

――国際結婚はいまでも一筋縄ではいかないところがありますが、当時の日本と朝鮮は宗主国と植民地の関係。より困難があったのではないでしょうか。

深沢:当時は、日本人と朝鮮人の結婚を国が奨励していたんですよ。けれど終戦を迎えた途端、宗主国と植民地の関係が崩壊します。日本人に虐げられてきたことを恨みに思う人たちが、それを晴らすようにして彼女たちを差別し、抑圧する。マサに特定のモデルはいないのですが、そうやって国の責任を押し付けられるような形で厳しい境遇に追いやられた女性たちの人生を描きたかったんです。

※写真はイメージです(以下同じ)
――マサはそうした自分の立ち場を、過酷な経験を通じて肌で知っていきます。一方の方子さんは朝鮮でも結婚式をあげることになったとき、現地で鯉(こい)のぼりを見て無邪気に喜んでいましたね。

深沢:方子さんは本人がいかに心細くとも、皇族、つまり宗主国でも権力をもつ側として当時の韓国を訪れています。置かれた立ち場によって、同じものを見てもまったく感じ方は違いますよね。でもそれは個人の問題ではなく、国と国とが支配する側とされる側という構造に置かれていたからです。支配する側にいると、される側の痛みはとても見えにくい。

深沢:戦時中の資料を読むと、朝鮮に派遣された日本人の子どもが、地元の朝鮮の子どもたちと仲よく遊んでいるという記録が少なからずあります。楽しい思い出になっているようですね。でも、その子たちのお兄さんやお姉さんが徴用されているかもしれないというところには目がいかない……支配-被支配の構造のうえに成り立っている関係だからです。