先日読んだプロトレイルランナー・鏑木毅さんの文章に、興味深い箇所がありました(日本経済新聞2022年6月24日金曜日夕刊)。鏑木さんは故障を押してレースに出場し続けてしまった結果、本来の走りができなくなり、苦悩が続いたのだそうです。なぜ中断しなかったか。それは「自分の体でありながら、さまざまな期待を背負った身、自分の考えだけで周囲に大きな迷惑をかけてはまずいという気持ちが強く働いた」からだそうです。

いったん着手した学習法をやめることに負い目を感じたり、にっちもさっちもいかないような人間関係から抜け出ることができなかったりするなど、人は生きていると色々な状況に直面します。その根底にあるのが、鏑木さんの言う「自分の体でありながら、さまざまな期待」を自分で自分に課しすぎるからだと思うのです。

特に人間関係の場合、自分の中では「もうこの関係を続けるのは不可能」との結論が出ていても、周囲が良かれとの思いで仲介しようとしてくることがあります。そうされると余計自分自身も「あの人がここまで一肌脱ごうとしてくれるのだから、やはり私が意地を張り過ぎているのだろうか」と心が揺れ動きます。「自分が我慢すれば、うまく行くのではないか?」と思い悩み、「我慢した自分」への将来的評価がちらつき、余計惑わされます。

けれども、心の中で「次を目指そう」と思っているならば、それが自分にとっての正解だと私は思うのです。「このテキスト、つまらないなあ」と不満を抱きながら学習したとて、身に付くことはあまりないでしょう。人生もそれと同じ。自分にとってのベストな正解を実施するのであれば、やめる勇気も必要だと私は考えています。

(2022年7月5日)


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