年季を感じる信州木曽路のお蕎麦屋「旗挙そば 源氏」。名前の由来は、この土地で挙兵し活躍した「木曽 義仲」から。そばの色が黒いのも、太さがバラバラなのも、木曽路の手打ちならではです。ゆったりくつろげる店内や人気メニューなども合わせてご紹介いたします。

アクセス便利な立地「宮ノ越宿」にある【旗挙そば 源氏】

長野から岐阜にかけて走っている国道19号線沿いは、かつての 中山道 の中でも、険しい峠であった 木曽路 の宿場がたくさんあります。宿場があったところは今でも村や町の中心地となっており、飲食店やお土産屋さんなどもいろいろ。

特に 木曽路 では、木曽川という豊かな水源を生かした水車が活躍していたため、今でも 蕎麦 が名物(水車の動力で蕎麦を挽いていました)。お蕎麦屋さんがあちこちにあります。

「でも、どこの蕎麦屋がいいのかわからない…」という方に、今回オススメしたいのが【旗挙そば 源氏】。

【長野】木曽義仲が旗挙げした日義の蕎麦「旗挙そば 源氏」
(画像=blog.goo.ne.jp、トリップノートより引用)

【旗挙そば 源氏】も、第37宿場の「宮ノ越宿」にあります。現住所でいえば 木曽町。国道19号線沿いにあり、「七笑」や「中乗さん」といった地酒の幟が目立つ大きな建物なので、すぐに気付くはず。

【長野】木曽義仲が旗挙げした日義の蕎麦「旗挙そば 源氏」
(画像=blog.goo.ne.jp、トリップノートより引用)

年季の入った佇まいで、地元の方も観光客も多く訪れるお店ですが、気になるのが店名。「旗挙?源氏?」一体全体、どういう意味なのでしょうか。

店名【旗挙そば 源氏】の由来は「木曽義仲」

【長野】木曽義仲が旗挙げした日義の蕎麦「旗挙そば 源氏」
(画像=blog.goo.ne.jp、トリップノートより引用)

店名の由来は、中山道の宿場が江戸時代にできる、もっと前の 平安時代の末期 に遡ります。時は、源平合戦。

その頃、活躍した「木曽義仲」は、名将として歴史に大きく名を刻んでいます。一緒に活躍した「巴御前」の方が人気が高いかもしれませんね。

この「木曽義仲」の名字、本当は「源」。「源氏」として埼玉に生まれました。しかし、義仲の父親が、その兄(義仲の叔父)と対立し、源氏同士で内紛に。父親は叔父の息子に殺され、義仲も殺されかけます。

でも、当時はまだ2歳だった義仲、不憫に思った乳父(乳母の夫)が逃します。その先が木曽にあった「朝日村」でした。ちなみに、この乳父の娘が「巴御前」です。

義仲は「源義仲」ではなく「木曾次郎」と名乗っていましたが、源氏としても名が知れ渡った頃、かの有名な 以仁王の令旨 が発令されます。「源氏は兵を挙げ、平氏を打倒せよ」という令ですね。

この令に促され、義仲が挙兵、すなわち旗挙げした場所が、【旗挙そば 源氏】のある 日義 です。住所は、今は 木曽町日義 ですが、市町村合併の前は 日義村 でした。

村名の由来は、ここで旗挙げした 木曽義仲 が、 朝日村 へ逃れて以来 朝日将軍 と呼ばれていたからです。「朝日将軍」の「日」と、義仲の「義」を合わせたのですね。

年季のある広々とした店内

【長野】木曽義仲が旗挙げした日義の蕎麦「旗挙そば 源氏」
(画像=blog.goo.ne.jp、トリップノートより引用)

店内は、テーブル席と座敷とあり、席の間隔もあって広々としています。コロナ渦においては「予約席」という札を立てて、特に座敷は密にならないような工夫をしています。

【長野】木曽義仲が旗挙げした日義の蕎麦「旗挙そば 源氏」
(画像=blog.goo.ne.jp、トリップノートより引用)

大衆食堂というほど雑多ではなく、清潔感もあり、ホッとくつろげ、どこか懐かしいような年季も感じられる…そんな雰囲気です。

【長野】木曽義仲が旗挙げした日義の蕎麦「旗挙そば 源氏」
(画像=blog.goo.ne.jp、トリップノートより引用)

地元の新聞や、雑誌なども各所に置かれているのが、なんだか微笑ましいです。

【長野】木曽義仲が旗挙げした日義の蕎麦「旗挙そば 源氏」
(画像=blog.goo.ne.jp、トリップノートより引用)

厨房はとっても広く、たくさんの蕎麦おけやざるが。たくさんのスタッフの方が働いており、活気あふれています。