⑪アッシリア
アッシリアは、現在のイラク北部からシリア、レバノンやイスラエルにかけて存在した王国です。歴史は非常に古く、紀元前6000年には集落が存在し、紀元前3000年には現在のエルビルからシリア、レバノンやイスラエルにかけて広く都市が形成されていました。アケメネス朝が起こる少し前の紀元前900年には、イランも含む全オリエント世界を支配下に置いています。
レリーフには、毛糸で編まれたようなボーダー柄の丸い帽子を被り、肘が隠れる五分丈袖と膝下丈のワンピースを着て、幅のある紐のベルトでウェストを閉めています。足元には、編み上げのハーフブーツを履いています。
献上品は、両手に盃を携えた二人。そして、次の人は右手に小さな酒盃、左手にはかなり大きいシンプルなアンフォラを持っています。当時のアッシリアでは相当量のワインが生産されており他国へ輸出されていました。
アッシリアで発掘される壁画や遺跡、遺品にはワインや葡萄にまつわるものが数多く描かれておりますので、こちらのアンフォラにもアッシリアワインが入っていたのではないかと思われます。そして、ほかにもオーバーコート、羊二頭が献上品として朝貢されたようです。
⑫メディア
メディアは、現在のイラン北西部ハマダーン周辺にあった王国です。アパダーナ東階段では正面に向かって一番右の一番上に描かれており、最も重要で近親であったことが表現されています。メディア人はペルシア帝国の側近として仕えており、ペルセポリスに遺るレリーフの中にも、警備や傭兵、使者の案内などで多く描かれています。
メディア人の使者は、現代ではムスリムの女性が着けるバスリク(Baslik)風のクーフィーヤを頭部に巻き、顎までそれを覆っています。後ろの首の付け根あたりに少しだけ見える髪から、ウェイビーであることも表現され、改めて「よく観察しているな」と感心させられます。
献上品は、先頭のアンフォラ、ボウル、装飾のついたアキナケス(刀剣)です。そのほか、装飾のついたリング、コートやジャケット、ズボンも献上されており、仲良しで近いだけあって盛り沢山な献上品の数々です。朝貢者の数も他国より多く彫られています。
⑬サガルティア
サガルティアは、現イランのヤズド辺りに存在した砂漠の王国です。先頭の人はラウンド帽、次の人はクーフィーヤを巻いて口元まで隠し、三番目の人はつばのない、耳当て部分を後ろに流した帽子を被っています。
東階段のレリーフの中で、一国の朝貢者の被り物が統一されていないのはサガルティアンのみです。個性豊かで自由主義であることの表れなのでしょうか。若しくは、朝貢者を選抜したのではなく、暇な人を適当に集めただけかも知れません。
使者は服を手にしています。また、写真にはありませんが牡牛も献上しています。
⑭バビロニア
バビロニアは、現在のイラク南部にあった王国です。旧約聖書にも出てくるバビロニアは、紀元前4000年には既に農耕が盛んとなっていたほか、法律、文学、宗教、芸術、天文学などが発達し、ペルシア帝国に敗れるまで古代オリエント文明の中心地でした。使者は、タッセル(房飾り)の着いた円錐形の帽子を被り、くるぶしまであるインナーの上にドレープのかかった半袖のローブを羽織っています。
献上品は、浅いボウルを持つ人と、端が美しくデザインされたブランケットのような織物。こぶのある牛も献上品となったようです。
バビロニアは、ペルシア帝国にその座を奪われこそしましたが非常に裕福で、ペルシア帝国軍の1/3の費用を賄っていたそうです。
⑮エラム
エラムは、イラン高原の山脈沿い西にある地域で、アケメネス朝時代には行政の首都となるスサを中心に住んだ人々です。歴史は古く、紀元前2000年にはエラム文字と呼ばれる楔形文字を使って記録を残しています。しかし、現代に至ってもすべての解読には至っておらず、何が書かれているのか未だに謎の部分も多くあるようです。
エラム人は、頭部にダイアデム(冠の一種)と呼ばれる装飾されたヘッドバンドを着けています。そして、現代では主に女性の着るカフタンドレスを身に着け、その上に腕裾部分がかなり広いマントを羽織っています。編み上げのハーフブーツも特徴的ですね。献上品は、弓と装飾の着いた短剣。短剣の持ち方が痛そうです。
そして、自ら進む大きなライオンと、子ライオンを胸の前で抱っこする使者の姿があります。子ライオンの目が可愛いですね。親ライオンは、子ライオンを心配しているのか、振り向いて様子を確認しているように見えます。
ライオンは、いつの世界でも権力の象徴でした。現代ではアフリカが主な生息地ですが、ペルシア帝国時代(紀元前)には、インドからギリシャまで広く分布していました。二つの弓と短剣も献上されています。