⑯アラビア
アラビアの献上品は、現代のアラブでもお馴染みのヒトコブラクダです。写真ではちょうど切れしまっていますが、タッセルの着いたドロメダリー(水を運ぶ袋)も献上されています。アラブらしいですね。連れて歩く使者は、片方の肩を出したドレープを身にまとっています。当時からとても暑かった様子が伺えます。暑い地域からの使者はほとんど帽子やクーフィーヤをしていませんが、これはペルシア人にとっては非常に珍しいファッションだったそうです。
⑰トラキア
トラキアは現在のブルガリア周辺にあった地域です。当時、現地で広く浸透していたとされるフエルトで作られたトラキア帽をかぶり、長袖のインナーの上に片袖のないチトン(ドレープがかった民族服)に身を包んでいます。
トラキアからの献上品は、二組のランスとラウンドシールド(円形の盾)です。
⑱イオニア
イオニアは、現在のトルコ南西部イズミル近くにあった地域です。レリーフは、イスラムワッチのようなものを被り、胴体部分は縦縞、腕の部分は横縞のインナーの上に片方の肩を出すローブを羽織っています。このあたりの上流階級はシルクを好んだことから、ロングの内服と外服に分かれたこのドレープある光沢の服には、シルク素材が使われていたのではないかと想像します。他国のレリーフと違い何故か耳が強調されています。耳に特長があったのでしょうか。
献上品は、浅型のリブ付きカップと、丁寧に畳まれたシルクと思われる織物生地。その後ろの二人が持っている横波型の丸いものは、毛糸玉かシルク玉なのではないかと思われます。
⑲リディア
リディアは、現在のトルコの西半分を支配していた大国です。被っているとんがりコーンのような円錐形の帽子が特徴的です。帽子から耳の後ろに垂れている紐を見ると、日本の烏帽子にも見えます。リディア人も耳が強調されています。当時のトルコ人は耳が大きかったのでしょうか?このレリーフを作成したペルシア人には印象的だったのかもしれないですね。
デザイナー「ISSEY MIYAKE」のファッションブランド「PLEATS PLEASE」のような、とにかく細かいプリーツの肘丈ロングインナーを着け、その上に片方の肩出しローブを羽織っています。足元には、つま先の尖ったハーフブーツを履いています。日本のビジネスマンもこのように尖った革靴を履いている人がいますよね。
献上品を携える一番目の使者は、グリフィンのついた小ぶりのアンフォラを両手に持っています。トルコワインが入っているのでしょうか?縦縞のデザインが素敵です。二番目の使者は平型の盃、三番目の使者はグリフィンの模られた金属リングを持っています。その後ろには馬二頭と戦車が続きます。
⑳カリア
カリアは、現在のトルコ南西部にあった地域です。カリア人は、長袖膝丈のインナーの上に片方の肩出しローブをはおり、長ズボンを履いています。
特徴のある立派な角を持った牡牛を献上しています。表情が他の動物より荒々しく勇ましく描かれており、農耕目的ではなくライオンとの闘牛鑑賞などの目的として使われたのではないでしょうか。