⑥アラコシア
アラコシアは、現在のアフガニスタン南部からパキスタンにかけて存在した国です。服装は現アフガニスタンの男性民族衣装である「ペラン・トゥンバン」とあまり変わらないように見えます。頭部にはクーフィーヤを巻き、後ろで結んでいる様子が彫られています。耳にはイヤリングをしているようです。
使者が両手に持つボウルには何が入っているのか不明ですが、アラコシアは路地物のメロンやザクロなどがよく採れたので、フルーツなどが献上されたかも知れませんね。ラクダも献上されています。
⑦インディア
ペルシア人に手を引かれた先頭のインディアンは、現代においてもインドの正装であるドレープがかった「ドーティ」を着ています。しかし、そのあとに続く人の上半身は裸のようですね。膝丈の巻きスカートのようなものを腰部分で留めています。
カースト制度は、少なくとも紀元前1000年ごろには確立されていましたので、その身分の違いをレリーフで表したのでしょうか。皆、頭に布の鉢巻きのようなものをして後ろで結んでいます。
上半身に服を着ていない人は肩に天秤棒をかけており、前後の籠には高さのあるボトルが入っています。インダス渓谷で豊富に獲れた砂金が入っていたとされる説が有力ですが、筆者は古代インドで儀礼に使用されていたスラー酒やソーマ酒が入っていたのではないかと思っています。とにかくペルシア人はお酒が好きですから。
その後ろにはロバと、斧を持った使者が続きます。
⑧スキタイ
スキタイは、黒海北岸からコーカサス地方にかけて存在した、イラン系遊牧騎馬民族の国です。騎馬に必要となる手綱、クツワなどを製作する技術に長けたほか、高度な金属文化をもっており、遺物には純金で作られたものが驚くほど多いそうです。しかし、遊牧民であるが故、定住でないと得られない衣食に不自由し、近隣諸国でしばしば武力による略奪を繰り返したのだとか。
こちらのレリーフでは、全員が腰に巻いた紐に剣差しを着けて短剣をぶら下げ、全体的に武装スタイルであることが分かります。頭部に着けている魔法使いのように先の尖った特徴のある帽子は、当時のスキタイ戦士が日常的に被っていたものです。因みに戦士は男性とは限らず、13歳以下の女子も多くいたようですよ。
献上品は、たてがみがふさふさの馬を先頭に、純金だったであろうと思われる二つのリング。そのあとに続く使者は織物を持っているようですが、こちらは略奪品ではないでしょうか(これは筆者の勝手な想像です)。
3人の持っている織物のボリュームがそれぞれ違います。二番目の人の布は腕袖のようなものが分かりますので、上着となるジャケット。最後部の人の持つ布は二股に分かれており、ズボンなのではないかと思われます。そうなると一番目の人は一番ボリュームがあるのでコートかオーバーなど、寒さをしのぐための服でしょう。
⑨アルメニア
アルメニアは紀元前860年ごろに成立し、現エレバンを首都として領土を拡大していった王国です。ペルシア帝国の支配下にあっても半独立を保ち、その後パルティアやローマなどの侵攻を受けながらも独立と従属を繰り返し、長きに渡り存続し今に至ります。
アルメニア人は、耳当て部分を後ろで結んだ、つばのない帽子を被っています。髪はウェイビーですが、髭はストレートですね。
献上品は、たてがみのストレートな馬、そして取手にグリフィンの模られた注ぎ口のある大きなアンフォラを持っています。グリフィンとは上半身が鷲、下半身がライオンの想像上の伝説生物です。アンフォラは、ワインをはじめ様々な液体を運ぶのに適した素焼きの陶器で、古代から一般的に用いられてきました。
アルメニアなどコーカサス地方はワイン発祥の地ともいわれ、現代において7000年前のワインも発見されていますので、こちらのアンフォラも古代から飲まれていたアルメニアワインが入っていたと思われます。
前述通り、現代のイランでは宗教の厳しい戒律により決してアルコールを飲むことはできませんが、ペルシア帝国時代は支配下各国から産地特有のお酒が豊富に届けられ、さぞかし会議や宴会が盛り上がったことでしょう。
⑩カッパドキア
カッパドキアは、現在のトルコ中部にある奇岩で有名な地域です。帽子はアルメニアと同じで耳当て部分を後ろに結んでいるよう。アルメニアとは隣国ですので同じような帽子が流行ったのでしょうか。服装は全員が騎手の格好をし、上に羽織ったマントをフィブラ(ブローチ)で留めています。
献上品の馬は、頭部のたてがみがリボンで結ばれているように見えます。プレゼントの印でしょうか?そのほかにも、スキタイと同様にコート、ジャケット、ズボンを献上しているようです。