それがスケジュール都合なのか何なのかは知りませんが、出産したばかりの結さんは東日本大震災にも向き合うことができませんでした。

 カスミンから現地報告を聞いて、「ウチにできることって……」と深刻な顔で言っていたのが昨日。「つづく」とテロップが出ていましたので、今日はその続きだと思って見てみたら、全然続きじゃなかった。

 黙祷して、自分の子に震災のことを語り継いでいこうという思いを新たにしますが、それは神戸に住む人が去年もおととしも1月17日にはやっていたことのはずで、東日本大震災とは関係がない。

 そもそも当時6歳だし、震災後すぐに糸島に引っ越したから具体的な復興の様子も見ていないし、当時の学校でどんな授業が行われていたかも知らないし、たいして語り継げることがない。この人は自分に震災の記憶があるのかないのか、それさえあやふやなんです。だから「花が大きくなったら、あの日のことちゃんと話そうと思った」と言われても、何を話すのか想像ができない。内容が想像ができないから、セリフが意味をなさない。

 東日本大震災に際して主人公が何を思ったのか、何をしたのかを描かなかったことで「震災を適当に扱っている」という印象を与えた『おむすび』ですが、もうひとつ「何を思ったのか」が描かれなかった重要な転機があります。

 母になる、ということです。

 はっきり言って、遠くで起こった震災なんかより自分が人間を産み落とすことのほうが、個人にとっては大事件であるはずなんです。

 このドラマでは、主人公である結さんが母になることについての葛藤や不安、喜びさえも、一切描いていません。苦痛すら、突然の腎盂腎炎と抱き合わせで味わわせるだけだし、育児に忙殺されるストレスもない。

 妊娠がわかって何を思ったかもわからなければ、産んでみてどう思ったかもわからない。結果、結さんが母になったことが「東日本大震災の現地に行けない」という撮影都合についての言い訳と、先輩管理栄養士と出会うきっかけ作りとしてしか作用していない。