――韓江氏の作品も『すべての、白いものたちの』(河出書房新社)や『菜食主義者』(クオン)などが2010年代から翻訳されていたこともあり、ノーベル賞受賞前から日本でもその名は知られていました。
土佐 今のところ、韓国文学の海外での紹介は日本がもっとも進んでいると思います。それは、言語的文化的に近いという背景に加え、近代化に伴う同じような「正負の遺産」を共有しているからです。日本は少なくとも戦後は軍事政権にはならなかったわけですが、それでも経済成長優先で国民を動員し、効率のいい社会を作ってきた点はまったく同じでした。その成果として高い経済成長がありましたが、その裏には当然大きな副作用がありました。ストレスに満ちた競争社会を作った結果、高い自殺率、低い幸福度、いじめ問題、「ひきこもり」の蔓延など、両国が抱える社会的矛盾や社会病理の兆候は、驚くほど似ています。女性の社会的地位の低さも共通しており、だからこそ『82年生まれ、キム・ジヨン』は日本の女性に我がことのように受け入れられたわけです。
社会の弱さに向けられた女性作家の作品が、日本だけでなく新自由主義が進行するグローバルな規模で共感の輪を広げているとしたら、単純に歓迎すべき事態ではないでしょう。しかし、残念ながら世界は今そういう方向に向かっているのだと思います。
――なんだか、せっかくのブームなのにその背景を知るとモヤモヤしてしまいますね。
土佐 それと、日本で韓国文学のファンが多いのは、安宇植(アン・ウシク)や斎藤真理子など優れた翻訳者が地道に翻訳紹介してきた貢献も大きいと思います。私も文化人類学者として文化の翻訳を生業にしているため、なおさら痛感するのですが、たとえ韓国語は日本語と近いといってもやはり外国語なので、小説の緻密な表現を翻訳するという作業の難しさは、並大抵のことではありません。翻訳とは、言葉を単純に移し替える作業でなく、創造的に異文化理解の架け橋をすることだからです。韓江の小説の多くはデボラ・スミスというイギリス人女性が英訳したそうですが、ノーベル賞の対象になったのは、そうした翻訳者の貢献が非常に大きいと思います。